続法隆寺

明治17年、一人の見知らぬ外国人(フェノロサ)が政府からの公文を持って突然法隆寺を訪れた。よりによって千二百年もの長い間秘仏となっていた夢殿の厨子(救世観音を安置した箱)を開けようというのだ。じつはこの厨子を開けると崇りにより天変地異が起こると寺の僧たちは長い間聞かされており、鍵を渡すやいなや一斉に逃げ出したという。しかし天変地異は起こらず、夢殿は現在に至るまで健在である。この時以来この仏像は美的鑑賞の対象になったのである。ではこの救世観音に施された「ある処理」であるが、奇妙としかいえない点が二つある。一つは光背(仏像の背後に見られる火焔様の飾り)を留める大きな釘が「杭」のように仏像の後頭部に打ち込まれているのである。(怖)二つ目は仏像の体が空洞(背中がない)であることである。前面からは人間に見えるが、実は人間ではないという表現と思われる。明らかに人間としての太子ではなく、怨霊としての太子を創り出したのであろう。こともあろうに仏像の頭に釘を打つというような冒瀆(ぼうとく)があろうか。釘を打つのは呪詛の行為であり、殺意の表現である。一族が崇りを鎮めるため怨霊を封じ込めた行為ではないだろうか。夢殿とはまさに聖徳太子のお墓であるといっていい。
日本書紀などに記録がないというのは、そもそもこの書の編さんも藤原一族によるもので都合の悪い部分は削除されているのではないか。当然の作為と思われる。歴史とは記録であり、「記録の仕方」で如何様にもなるということだ。「教科書」が必ずしも正しい訳ではない。
法隆寺の現実的な謎を七つ並べると

  • 1、法隆寺に関する資料が建造に関しての正史「日本書紀」に一言も書かれていない
  • 2、法隆寺に関する財産や建物仕様等が記された「資材帳」の寺院に関しての記述が極めてあいまい
  • 3、中門の真ん中の柱(通せん坊)がある
  • 4、金堂の本尊が三体あること及び像の衣装の時代が不自然
  • 5、塔の柱の下の火葬骨は誰のものか、空の仏舎利や心柱にくい込んだ石また塔の塑像の意義
  • 6、夢殿を含む東院伽藍の付属の意義(西院のみで伽藍が完成している)
  • 7、夢殿から出た太子と舎利が西院へ運ばれる法隆寺の祭り「聖霊会(しょうりょうえ)」とは何か

以上が挙げられる。
法隆寺は今だ解明されない謎や史跡が多数存在している。当所でも今後調査・研究が要される施設である。
(各謎に迫ります。