たしかに桜があった

地震の流れ」でよそ見をしなくなったのか、気がつくと桜が咲いていた。
研究室棟の前の土手にも大きな桜の木があり、既に六分咲き程に姿を変えていた。(今までどこに目をつけていたのか・・・。他の季節はほとんど視界に入らないというのが、桜の木の切ない特徴でもある。(普段はそこに桜があることすら・・・。しかしこのときだけ景色までをも変えてしまう、この時限付きのイリュージョンは、薄情な人たちのことなどお構いなしに「日本の春」を告げてくれる。
霞がかったように薄桃色の光りが窓へ映り込み、あたかも皮膚と同じ浸透圧の化粧水を塗布したような清涼感を、棟内へ「期待と不安の季節」という形で投げ入れているようであった。
そんな少しの緊張と、穏やかな暖かさを感じるとき、そこにはたしかに桜があった。
(まだ桜餅食べてなかった・・・、