山梨にも・・

ALWAYSがありました。(何のこっちゃ・・。いえいえどこの街にも昭和30年代はあった訳で、決して作家の茶川さんが住んでいたという訳ではありません。ですが、路面電車です。もちろん知識としてはその存在は知っていましたが、ひょんなことから「山梨交通電車(通称ボロ電)」の写真たっぷりの本を発見し、この山梨にも昭和37年まで「ALWAYS」のような街が存在していたことを改めて知りました。JR甲府駅前東横(現在の山交百貨店)に乗り場(甲府停車場)があり、駅を出ると舞鶴城公園前を下り、県庁、甲府警察署前を通り相生まで南下すると西へ進路を変え、荒川橋、上石田までは車道との併用区間を進みます。貢川からは専用軌道(線路のみ)となり、玉幡、開国橋、甲斐飯野まではひたすら西へ進みます。その先から再び南下し、巨摩高校前を抜け終点甲斐青柳(増穂町)までの計20.2㎞の路線です。(それぞれの写真はどれも大分麦焼酎が似合うとてもノスタルジックで、古き良き世界が存在していました。
以前から田園地帯を走る電車のイメージはありましたが、都市部の軌道風景はまさにALWAYSで、東京タワー建設に沸いた「あの頃」が山梨にもあったことに改めて感動してしまいました。

昭和36年頃の相生町〜警察署前あたりです。(ボロ電の画像より)