雨、

そろそろ現場が上棟を迎える頃だが、雨続きだと式の日程に狂いが出るかもしれない。週末でないと高速安くないんだよな〜。屋根が出来るまでは雨が続くと基礎に水が溜まって余計な作業(排水)も増えるし、基礎や土台が汚れるし、いいことはない。土台の上の土足の跡はあまり気持ちの良いものではない。上棟までの工事の出来がその後の施工精度を判断する指標のように感じるのだが・・・、
ソフトボールの試合の日も変更になった。

インド日記つづき

入口付近にガイドの姿がない。よくわからないまま観光客の流れに従い階段を上がる。チケット売り場の男が購入を勧めるが、僕らはツアーなのでガイドが払い込んであるはずである。無視して進むが制止させられる。「?」ガイドが不在なので説明が出来ない。すったもんだしていたところへ初老の案内人が近づき「ガイドがいるのか」と尋ねる。「中にいるはずだ」のようなニュアンスを英語を交えゼスチャーすると、門番に話しをつけてくれ中へ案内してくれた。訳も分からず奥へ連れられ、廊下を抜けた先に「アロク」が立っていた。(・・?)よく分からん。ガイドが謝ってきた。「スミマセン」
訳を聞くとツアーガイドが入場する通路がたまたま映画撮影のため使用出来ず、裏口から入ったため、僕らの入場に間に合わなかったらしい。初老の男は当然のように僕らのガイドに案内料を請求した。ワークシェアのインドですからね。
ようやく内部の見学が出来ます。入ったところは中庭風広場で正面には列柱の美しい一般謁見の間(ディーワーネ・アーム)右側には世界で最も美しい門と言われるイスラームヒンドゥーを融合させ、精緻なモザイクがこれでもかと施されたガネーシャの門がある。細かな透かし彫りの張り出し窓が前面を覆っている。この先の内部は王の私的空間となっている。
色豊かに配置され、幾何学模様に仕切られた庭園が広がり、東側には貴賓室として用いられ勝利の間と呼ばれるガラスを埋め込んだ装飾過剰ともいうべき天井空間に覆われています。奥の部分は鏡の間と呼ばれ、壁と天井一面に細かな鏡が埋め込まれ無数の小さな景色が映りこんでいます。贅沢を独り占めしたような王のみの空間です。これはイスラーム様式の影響を強く受けたラージャスターン特有のスタイルと言われています。
庭園を挟んで反対側の歓喜の間は室内を水が流れるように造られていて、かつてここで涼しく暮らしていたマハーラージャの一族の繁栄ぶりが想像されます。城内は風通しも良く、太陽の光を調節するように設計された窓など見た目にも住むにもよく出来た城のようです。(夏の暑さを逆手にとった設計はアルハンブラと共通します)
出口付近には美術館があり、ヒンドゥー神話を描いたものから美しい色彩の中の女性像などインド美術のハイライトを堪能できます。
前の広場では絵描きの青年がヒンドゥーの神々を描いた色紙を販売していました。「紙に描かれた神」の絵を探していた相方は早速購入していました。僕も欲しかったがすでにシヴァ像を手に入れていたので懐を締めることに。
城を出ると予想通り写真屋が待ち構えていました。勝手に撮った写真を売りつける気です。よく顔を覚えているなと思いますが、この風貌なら見落とさないか!(目立つらしいのだ)
写真を二枚(2カット)持ち、400ルピーだという。
「一枚でいいから100ルピーね!」
「二枚で300ルピー」
「一枚でいいよ!」車に乗り込むとドアの隙間に手を入れて、「二枚で200でいい」と強引に手渡す。一枚100と言った手前、なかなか良く写っていたこともあり、2カット200で買うことにした。一枚は相方に渡した。
一度車を降り、城下を見下ろす。扇状に広がる街が白くなり始めた空に霞んでいる。駐車場からはまだまだ客を乗せた象タクシーがゆらゆらと登って来ている。上を見ると山の頂にジャイガル要塞がそびえている。11世紀に造られた要塞で、アンベール城が完成するまでマハーラージャが住んでいたという。一方アンベール城を住まいにしていたサワイ・ジャイ・スィン二世も都を平地に移し、シティパレスを造った。住まいを造り替えるのはいつの世も男の道楽のようである。
しかしサワイ・ジャイ・スイン二世は優れた指導者であったため、ムガル帝国の保護下に入り、地の利の良い場所に遷都するなど、安定した政治状況のもと経済的な繁栄を享受し続けた。ただの道楽息子ではなかったようだ。・・・