法隆寺

過去この寺ほど物議を呼んだ施設はないのではなかろうか。まず設計者は当然の事、建設年が不詳である。これほどの大建築がいつ造られたか分からないというのは、いったいどういう事なのか?この建設時期を巡っては過去より、散散たる再建、非再建論争を繰り返し、結局付近から旧施設(若草伽藍)の焼失遺跡が発見され、現在は「再建建築」として「停戦」に至っている。うる覚えの歴史の教科書では聖徳太子が建てた寺と記憶しているが、研究者によれば、この聖徳太子すら存在しなかったという説や、聖徳太子天皇であったという説まで飛び出す始末で、建築物「以前」の問題が山積みという「ミステリ」の極地ともいえる施設である。伝説などいくつも存在し「七不思議」なども各説ある。有名なものは

  • 1、法隆寺にはくもが巣をかけない
  • 2、南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石がある
  • 3、五重塔の上に鎌がささっている
  • 4、不思議な伏蔵がある
  • 5、法隆寺の蛙には片目がない
  • 6、夢殿の礼盤(坊さんが座る台)の下は汗をかいている
  • 7、雨だれが穴をあけるべき地面に穴があかない

というものである。怪談じみているが確認できるものは2、3、4だけである。このような伝説が生まれる裏には、この施設が「呪いの塔」であることと「崇りを治める供養塔」であるということだ。境内入口の中門にしても、中央に柱を配して「通せん坊」をしている。これは太子の崇りが外へ出てしまうのを防いでいると言われている。「出入り口」ではないのである。聖徳太子皇位継承に絡むクーデターにより殺害されたという説が現在定着しているが、陰謀を計った藤原一族は崇りを恐れ、国家プロジェクトとして工事をしたにも関わらずこれらの記録は抹消されている。わずかに歌人の作に微生物のように曖昧に記述されているに過ぎない。(もっともっと知りたくなるよね!法隆寺
崇りの復讐が繰り返され、恐れをなした一族はさらに夢殿を建て、聖徳太子の怨霊を鎮めるため、太子に見立てた救世観音(ぐぜかんのん)に「ある処理」を施し、ミイラのように覆い隠して堂内に永久安置した。この「ある処理」こそ崇りを止めようと必死だった一族の「異常」ともいえる行動だったのだ。(ここで「UFO」か「火サス」の音楽が流れると雰囲気が出るのだが
(一度に記載するにはしんどいのでこの続きはまた後日ということで、、