フマユーン廟

ムガル朝で最も発展した造営物は、広大な四分庭園「チャハル・バーグ(田の字プラン)」の中央に廟が建つ墓苑である。それはしばしば王の存命中に造営が始められ、完成すると一般公開されて庭園となるのだった。その最初の例が第二代フマユーンの廟であるが、これは彼の死後、王妃ハージ・ベグムによって着手され、没後9年目に完成した。10ヘクタール以上もある敷地中央の90m角の基壇に建つこの廟は、高さ38mのドーム屋根を戴き、赤砂岩と白大理石の組み合わせで仕上げられている。これが後のムガル朝の廟建築のプロトタイプとなる。建物は各面の中央にイーワーン(掘り込み拝堂)を配置するペルシャ風であるが、四方に開かれている建築形式は、ジャイナ教で発展した四面堂のイスラムへの適用であると考えられる。また地下に棺を安置する形式はムガル朝がモンゴル出身であるため、中央アジアから埋葬方法も伝えられたと考えられている。屋根と天井の二重殻ドームもまた、サマルカンドなどの中央アジアの起源である。このような方法は建物をより立体的・彫刻的にさせ、絵画より彫刻を好み、建築も彫刻のように造りたがるインド人の民族性の現れのようでもある。
(タージより完成度が高くみえるのは好みの問題なのか・・・、