日七十二月二

〔帝都に青年将校の襲撃事件〕
新聞が事件を最初に報道したのは、二十七日の朝刊である。しかし、これもかなり混乱していて、正確ではなかった。
「二十六日未明、帝都にて一部の青年将校等は左記箇所を襲撃せり。」
首相官邸(首相即死)、斉藤内大臣私邸(内大臣即死)、渡辺教育総監私邸(渡辺教育総監即死)、牧野前内大臣宿舎(湯河原伊東旅館、牧野伯爵不明)、鈴木侍従長官邸(鈴木侍従長重傷)、高橋大蔵大臣私邸(高橋蔵相負傷)〔二十六日午後八時十五分陸軍省発表〕
実際は、斉藤内大臣、高橋蔵相、渡辺教育総監、松尾首相秘書官ら4名と警備の警官ら数名が死亡、鈴木侍従長、牧野前内大臣らが重軽傷、岡田首相は無事であった。
後に刊行された様々な資料によれば、斉藤實(内大臣)の身体に撃ち込まれた弾丸は47発(検視官41発)と記録されている。・・・かりに如何なる大義名分があったにしろ、一人の人間に四十数発も撃ち込んで殺さなければならなかったのはなぜか。昭和維新という日本再生のための選択として、この残虐な手段は要件であったのか。一隊はこの後、渡辺教育総監私邸に赴き、今度は日本刀まで使っている。高橋蔵相の場合は更に無残極まりない。・・・これははたして革命であったのか・・・。
(同じ頃、後に「占星術殺人事件」という伝説のミステリの元となる「梅沢家連続殺人事件」が起きている。暗い時代に向っていたんだね。(現政権は大丈夫?