昭和85年8月15日

八月十五日、水曜日。空は抜けるように青かった。(と云う)サイパン、グァム、硫黄島アメリカの手に落ちて以来、一日も欠かさず聞こえていた警戒警報のサイレンも、今日ばかりはまだない。
静粛な中、セミの声だけが轟いていた。昨日午後九時、さらに今日の午前七時二十一分、NHKのラジオ放送は十五日正午から「重大放送」が行われると予告していた。天皇陛下自らの声でそれは行われるという。この予告は様々な憶測を生み、日本中を駆け巡った。
天皇自身のラジオ放送によって知らされたのは日本の降伏だったが、この突然に降ってきた戦争終結の「勅旨」を大部分の国民は、すぐには「無条件降伏」とは理解できなかった。ポツダム宣言は発せられてはいたが、このような突然な動きを国民が想像すべくもなかった。
初めて耳にする澄んだ声で、祝詞調のアクセントがガーガーという雑音とともに聞こえてくる。「・・・敵な新たに残虐なる爆弾を使用して・・・。わが民族の滅亡を・・・ひいて人類の文明を・・・朕は帝国政府をして共同宣言に応ぜしむるに・・・。遺憾の意を・・・。・・・その遺族に思いを致せば・・・。・・・堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、・・・万世のために太平を開かんと欲す」
戦後65年を迎えた。アメリカでは当時「広島、長崎には今後70年は草木はもちろん、一切の生物の生息は不可能である」と吹いていたそうであるが、日本は瞬く間に「戦後」を捨て、敵国に原子力開発の技術提供を施すにまでに至った。(・・・いまは地球人同士で喧嘩してる場合ではないぜよ。
(世界は再び「戦前」へと向かいつつあるのか、、