再び法隆寺

驚きました。まだ「教科書」では、「法隆寺飛鳥時代の建物で、聖徳太子が建てた日本最古の木造建築」となっているんですね。(ある意味間違いではないが、しかし、これが今「現存の法隆寺」に限定するとそうではなくなってくる。「教科書(最近のものはなぜか聖徳太子の時代はとばされている)」では、建てられたのは推古15年(607年)、「聖徳太子」が建立とある。・・・しかしこれは、天智9年(670年)に焼失する斑鳩寺(いかるがでら=若草伽藍)のことである。(焼失してしまったのだから「今の法隆寺」はもちろん飛鳥時代の建物ではない)
「今の法隆寺」は和銅4年(711年)の完成で、藤原一族によるものである。(聖徳太子は622年に亡くなっている)・・・なにが云いたいのかって?
今のものが「二代目」とはいえ、初代法隆寺を建てたのは聖徳太子なので、建立者は聖徳太子で間違いではないのだが、「今の法隆寺の説明」としては間違いとなる。しかし少しくらい時代が違っても「最古の木造建築」には違いない。歴史として、「古い有名人の記録」を残したいのは判るが、「今の法隆寺」の説明も但し書きでよいので、書き添えてほしいものである。
法隆寺白鳳時代の建物で、「聖徳太子の呪い鎮めのため」藤原一族により建立された日本最古の木造建築である。・・・と。