顔のない写真

フェイスブック」というのは、原則として「本人の顔」が掲載されているので、出身地や、出身校などで検索してみると、思わず「懐かしい顔」に出会うことがある。しかし、「顔のカタログ」でありながら、「顔ではないもの」を掲載しているのはどういうことなのか。このプログラムの狙いの一つは、「顔」という人格を含んだエレメントを他人に読ませることで、その人の状態や環境などを把握し、ネットワークを構成することなのであろうに、「顔のない写真」は何を持って「顔」としたいのか。そもそも顔を出さずに何のために「顔本」に参加したいのか・・・。(「顔のない十字架」という話もあったような・・・
「顔」を載せる以上、「いい顔」にしたいのはごく自然な行いである。大半は「以前の写真」か、「斜を向いたものや顔の一部」だが、一番気合が入っているのは「プリクラの美顔処理」を使用する例である。(これは「顔のある写真」と判断してよいのか、、
膨大な数の「友達」が羅列されるので、「顔のない写真」には目が触れません。フツウ人は見た目で判断するものですから、、画像処理でも己の掲載を。(グラサンくらいはいいんじゃないかな・・・。
(これはフェイスブックではありませんので「顔」で判断しないで下さい。ww