言葉の創造力

「語るものは現れる」「噂をすれば影を射す」ということわざがありますが、これは逆にいやな事や不幸な出来事は思い出した時と、言葉に出した時以外は存在しないというものです。
こんな例え話があります。
「記憶の選択」というのはバスでどこかへ行くようなもの。 車内には風采の良い紳士もいれば美しいお嬢様も乗っている。そうかと思えば酔っ払いがだらしない恰好をして臭い息を吐いている。時には不快な腫物だらけの顔(失礼、)も乗り合わさないとも限らない。しかし何も好んで酔っ払いや腫物の顔ばかりに気をとられる必要はないのです。幸福そうなお嬢様やイケメン紳士の姿だけを見て愉快になったほうが、自分もまた幸福というもの・・・。
これは「日時計主義」という生き方で、明るい事だけを記録し、悲しい連想や憂鬱な暗示を選択するのは己であるという話。すなわち言葉には「創り出す力」があり、つまらぬ記憶や不幸な出来事など言葉にしなければ現れず、記憶からも去ってゆくということでしょうか。
(口は災いの元でもありますから・・