吉日の範疇

娑婆の世界は日々岐路に立たされる訳だが、その受け止め方と選択が日々の苦である。諸行無常の響きありとはいうものの、人は「常」に従うほうが楽であり、迷うことは避けたいのが常である。しかし常ならんのが世であり、変わってゆくことを避けられないのは無情な事である。
そんなとき迷うことに隙を与えないのがことわざにある「思い立ったが吉日」で、人は本来感覚的な指令を受けることが備わっていると云われる。そう思ったとき、それは啓示であり、何度も輪廻を繰り返してきた経験からの魂の意識でもある。
これまでも何かの選択はそうしてきた訳で、アポなしの突然行動もそれが本来なら間違いではない。上手く行かない場合はそれはそれでそうではなかったとして諦めるしかない。(・・・。)娑婆にいる以上苦しむ事が努めであるから、違えることが生きている証拠でもあり、そう開き直ると少し楽にもなる。
昨日の再会も吉日と察したからであり、そう動かされた訳である。必ず人はどこかでつながることになる・・。
(カテゴリスト様いかがでしょうか。