建築意識

街を歩くと、当然ながら目に入るのは建築中の現場だが、いかにもと云える設計屋が絡んでいるであろう新しさやセンスのある物件と、なんの努力の跡も見られないような(失礼、機能や性能だけは格段にUPされているが)一昔前と変わり栄えのない物件とにはっきり分かれるように思う。
変わりものをつくれと云ってるのではなく、最低限街が新しくや美しくなってゆくような努力はして頂きたい。多分建て主の要望(間取り)だけをそのままカタチにしただけで、バランスや統一性など、作り手としての提案をしていない無責任な建築が少なからず存在する。
建築をつくるということは個人の趣味や経済力だけでは済まされない。建築は街並みや景色をつくるからだ。特に主要道路沿い、交差点際など街の顔となる地の物件の不出来は残念でならない。ましてやそれが勢力だけで手に入れ、忙しいゆえ流れ作業で仕上げた設計屋の仕事だったとすればなおの事だ。(それはすでに詐欺だ。
また、区画整理や新しい街並みになっても美しい街にならないのは、相変わらず土地は個人のものという土着意識が強いことも影響している。お金を出すのは己だからと、他との歩み寄りなどしないことが要因としてあるのも残念なこと。
住み手も作り手も街づくりを担うという意識を持って貴重な時間を共にしてほしいものです。
(建築。過大に云えば「地球の景色をつくる」ということ。 ・・・。( )つけすぎ。