意識改革

ここのところこの日記の語気が強い感がある。心境の変化かもしくは書き手が変わったのか・・。
大方上手く生きられないとき、人は社会に対して不平を云うことがあるようだが、この書き手もその部類なのか。
又はネタづくりのため、他人に成りすますことにより紙面を演出しているのか。いや逆に他人がログインして書き手に成りすましているのか。(もの好きもいるものだが)最近スタッフらしき投稿もアップされていないようだが、実はそれもまたフェイクなのか・・。
この日記はもともと作中作の物語りというか、叙述トリックというドイル時代にはなかったクリスティ以後のミステリに登場する、少なからずアンフェアな記述方式をとっている以上、書き手の変化に意図などない。日記であるゆえに市民の言葉でも、外部への伝聞でも広告でも、ましてやSOSでもない。(ただの言葉のあやか)
・・・と分析すること自体読み手の言葉ともとれるのだが。週末になると手薄になるところはサラリーマン的で、早朝や深夜投稿の少ない点でもある程度常識的(凡人的)な人物像が伺える。ときに投稿時間の字列が意図されることがあるのは、統一性や美にある程度意識が作用していることも読み取れる。(オタク的センスもありか)・・・はたして桜井京介とは誰なのか・・。
(某学院大学ミステリ研の友人