「沈みゆく日本」

いよいよ日本は経済成長戦略・防衛政策のまったくない政党を選ぼうとしている。日本は諸外国の植民地になろうとしているのか?トップがフリーメーソンだから仲間が助けてくれるのか・・・、テンプル騎士団でも立ち上げるのかな?
来月から新たな戦前の時代へと進み行く日本・・・、見届けてみましょうか。

インド日記つづき

チャンドニー・チョークという通りへ出るため、裏通りのような商店街(日曜日だからなのか閉まっている店が多い)を進む。それでも路上では色鮮やかな雑貨屋や、サモーサ(マサラで味付けしたジャガイモを小麦粉の皮で三角形に巻いたもの)を揚げる店などがある。余計な見学は予定に支障が出るらしく、ガイドは足早に通りすぎてゆく。ところが通りから急に路地へ入り込み、アールー・チョップ(茹でたジャガイモを鉄板で焼いたお好み焼きのようなもの)を食べる店へ寄った。ようは小休憩、お茶の時間てやつですね。なかなか気配りのある行程です。超せまい席の並ぶ店内へ落ち着きます。辛いソースをかけて食べます。もんじゃ焼きのようなそれとカレー、ナンなども付き立派な食事です。お昼にご馳走がでるようで、ここでは軽く食べるようにとガイドは案内しておきながら警告します。(これからいやという程カレーを食べることになる訳ですからね)
スィク教の寺院へ入ります。ここも素足で入ります。入り口で信者は階段を手で触り額へ、又は額を床に付ける人もいます。髪の毛を覆うのが礼儀らしく、僕らも三角巾のような布をまとい中へ入ります。中は経典などが流れる厳かな雰囲気でつい無口になります。例のターバンを巻いた屈強な男たちが多いインド人の典型のような人たち。じつはスィク教の人の姿なのだ。ターバンは髪を覆うためのものだが、彼はは教義により髪や髭を伸ばし続けているらしい。日本人がイメージする最もインド人らしい姿だが、スィク教徒の割合は2%程なのだ。出口付近でざらめと生姜をまぜたみたいな不可思議なものを口にさせられた。よく分かりませんがありがたいものなのでしょう。
チャンドニー・チョークです。ここはデリーの浅草・庶民の町と呼ばれるにぎやかな大通りです。ラール・キラー(ムガル帝国の赤い城)を正面に臨むシャー・ジャハーナーバードの都大路で、オールドデリーのメインストリートです。直訳は「月光通り」だが、「銀の道」とも言われ、ここにある金銀細工のバザールに由来しているらしい。車やトラック、リクシャー、牛車、手押しの大八車まであらゆる車輪のついたものや、ときには象やらくだまで斜線を無視してひしめくインドの混沌と多様性が一望できる象徴的な通りである。
通りの両側には毛細血管のように広がる商店街や職人街。ハノイの36通りのように同じ職種が集まって伝統的な店構えを残す一帯もみられる。特に宝石や金銀細工の店は有名でマハーラージャ御用達の店もあり、冠婚葬祭や贈り物などのために全国から客がやってくるらしい。
歩いて通りを横断する。まさにベトナムと同じく車、バイクの止まらぬ中を空きをみてのやっつけ仕事。サイクルリクシャーにも乗りました。二人乗りだがガイドも乗車。ステップの所に後ろ向きです。三人も乗って漕げるのかよ!と思いますが、インドでは乗り物には満席で乗るのが日常茶飯事のようです。思ったより視界が高く見晴らしが良い。しかしこの交通事情では少々スリリングな乗り物です。大通りへ出ました。「へっ?」ここを渡るの?バスは通る、トラックは通る、当然両方向よりです。このか細い足で漕ぎだしてはたして対岸まで辿りつけるのか?スローモーションのように進むがあれよあれよと混雑の中を通過します。ガイドが三人分25ルピー(50円程)を払いました。一人で乗ると15、二人だと20ルピー程らしい。・・・