ある意味今日は大晦日・・

64年間続いた戦後がようやく終わろうとしている・・・
来年あたり新政府にたいするクーデターが起こらなければよいが、今の日本にはそんな血気盛んな青年将校のような官僚はいないか・・・逆に頭でっかちガチンコ輩の天下りは抹殺していただきたい。

インド日記つづき

11時00分、次の見学地レッド・フォート(ラール・キラー)です。ここは一大観光地、さすがに物売りもさっそくです。「日本人ですか?」(違いますと言いたいが)絵はがき100ルピー「いらねーよ」女の子だけど無視、買い物などせずまじめに見学します。
このラール・キラーですが、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンがアーグラからデリーに都を戻し、自らの名を冠した都城シャー・ジャハーナーバードを造営した。これが現在のオールド・デリーでレッド・フォート(赤い砦)は1639年〜1648年に建設された。その名の通り赤い砂岩で築かれた堂々たる城壁が周囲を飾ります。チャンドニー・チョークに面したラーホール門から入場します。ここはアグラ城と並んで軍の施設であり、入場時のボディチェックも厳重です。これも後で思うのだが、インドはどこの観光地でも入り口のチェックはシビアでした。鞄の中まで見られます。
門をくぐるとみやげ物屋の並ぶアーケードがあり、その先が一般謁見の間と呼ばれ、正面の高い所に玉座があります。かつてここにはルビーやサファイアなどの宝石が嵌め込まれていたらしいです。さらに奥に進むとヤムナー河を背に貴賓謁見の間や、彩りの間、皇帝の部屋などの宮殿施設が並び、モティー・マハル(真珠の宮殿)はアウラングゼーブ帝が造った皇帝専用のモスクでこれは非公開です。(同名のレストランがあり、本日のランチで寄る所らしいです。ご期待!)後にこの施設は1857年に起きたセポイの乱でイギリス、反乱両軍の侵攻を受け華麗な宮殿は破壊されてしまいました。現在見られるのはその時残った部分に過ぎないらしいのです。
宮殿施設は広大な中庭のある空間、不気味なガジュマルの樹が迎える緑地で片側は邸宅風の石造りの館がずらりと並び、セピア色で写真を撮ると赴きのある風景です。水路がたくさん造られていますが、水は流れていません。軍部や行政では維持する資金がないため止めてあるのだそうです。水のない公園は廃墟のようで寂しいものですが、芝生の上では若いカップルがイチャついています。女の子に手を振ったら笑っていました。(彼女にならない?)《パンチするぞ!》(誰の声?)
ガジュマルの立派な樹がたくさん生えています。まるで無数の人間が絡みあったような不気味で生気のある木々です。リスも元気いっぱいです。(チップとデールみたい)
公衆トイレに寄ります。ありましたインドのトイレ。足型の間に穴があり、近くに手桶があります。もちろん紙はありません。小便器も仕切りがあるだけの昔の学校みたいなやつです。(臭います)
大通りを南下し、デリー門のあるロータリーを右折、次はラージ・ガートですが広大な庭だけの施設なのでパスしました。(ここはガンディーが荼毘にふされたところですが、時間がないのでキャンセル。ごめんさない)・・・・