めぐり巡る季節の途中で何色の明日を描きますか・・・

雨・・・今日は一日事務所詰め
モニターの中さ 山積みの閑古鳥を追い払い点と線に向かい合う
残像のフラッシュバックがデジャヴのように消えてゆく
レンズへの焼付きが鳥目を誘い赤い帯を付ける
クリックを重ねても明日の色はまだ見えない・・・

インド日記つづき

街路樹の多い整備された道路(マトゥラー通り)をさらに南下します。途中で路線を替えさらに緑の多い通りへ入りました。本通りと平行して走るこの道、静かな環境の施設入場専用道という訳の分からない道路状況ですが、こちらは空いています。
12時30分、駆け足のようですが次の施設、フマユーン廟です。ここは1565年、ムガル朝第二代皇帝フマユーンの妃が建てたもので、庭園の中に廟を置く形式はその後に出来るタージ・マハルに大きく影響を与えている。中央にドームを載せたシンメトリーな建築は、入口のアーチを通して見るとその安定感が一層引き立つように見える。赤砂岩に白大理石を嵌め込んだ色のコントラストが抜群でタージ・マハルより完成度が高く感じる。建物内の中央に置かれた大理石は仮の棺で、遺体はその真下に安置されているようだ。1993年世界遺産に登録されている。
お腹も減ってきたのでザワザワっと鑑賞して引き返します。(イスラームの建物は造りは素晴らしいがそんなにピンと来ないんですよね。なぜか)車に戻ると前にアンバサダーが停まっていた。この車かっこいいんだよね。元は英国の車だが、ライセンス生産で今はインドの国産車として定着しており、すでに過去の車となりつつあるのだが、そのクラシックな外観は変な言い方だが、不景気に相応しいかっこ良さと思えるのである。しかも街中を走るタクシーやオートリクシャーなどの大半がCNGと書かれた天然ガス車なのだ。環境にも良いのです。お昼の時間を過ぎていますが、合理的な道順のため次の見学を先に済ませてしまいます。
12時50分、インド門です。観光バスがたむろする広い空間にポツンをそびえ建つフランスの凱旋門のようなゲートだけの構造物。上部にINDIAと書いてある。高さ42mのこの門は第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑です。インドは戦後の独立を条件にイギリスに協力して参戦したが、大きな犠牲と引き換えにも独立は実現しなかった。壁面には1万3500人の名前が刻まれている。ゲートを抜けた正面奥には大統領官邸が見える。国の威厳としてのセントラルタワーでもありそうだ。多くの人が見上げているだけだが、芝生広場では子供たちの遠足だろうか輪になってお弁当を広げていた。市民にも定番の観光地なのだろう。その後、大統領官邸まで足を伸ばしてみた。
13時30分、ようやくランチタイムです。タンドリ・チキン(ヨーグルト漬けしたチキンに香辛料を付け、タンドゥーリと呼ばれる土の釜で焼いたもの)の超有名なモティ・マハラ(先述の宮殿の名)という外国人旅行者御用達のレストランです。二階へ上がり、案内された席の隣が韓国の方々でしたので、通りに面した窓際の席に陣取りました。(同胞との語らいは分かりますが少々うるさいんですよ)隣を見ると日本人夫婦、テーブル上も美味しそうです。ビールを頼んでみます。「キング・フィッシャー」という茶色い瓶で日本の大瓶よりやや大きいか?洗練されたクリアな味、どこかの宣伝文句のようですがうまいです。
出てきました。タンドリ・チキン。よっちゃんイカのような色に染まるチキン。脂身の少ないあっさりな鶏肉です。それよりシシカバブイスラームの焼き肉でひき肉をちくわ状にして焼いたもの)というグロテスクなソーセージというよりうんちみたい(言うな)な棒状の肉片、ようはつくねですがこれは辛くてなかなかうまい。モスグリーンの酸味のあるタレをかけて食べます。
いよいよインドの定番が出てきました。豆カレー、チーズカリー、ジャガイモが主の炒め、箸休めにはアチャールと呼ばれる野菜や果物の唐辛子を利かせた漬物。主食はチャーハンとナンです。ボリューム満点でどれも美味しくさすがツアー客御用達の店、客も外国人ばかりです。・・・ごちそうさま。・・・