9.11

あれから8年になるんですね。
テレビ映像のW・T・Cへの突入は映画のシーンかと見ていた記憶がある。
被害を大きくしたのは直後タワーが崩壊したことだ。誰もが旅客機一機による攻撃でビル全体が崩れるとは思わなかったはずだ。
この建物は細身の鋼材を網目のように組上げた特殊な構造のもので、高熱の火災により鋼材が熱伝導に犯され、柱が上階の荷重を支えられなくなり、崩れた自重で床が抜け落ち次々と下階を破壊して進む「ドミノ崩壊」というのが倒壊のメカニズムである。
設計者ミノル・ヤマサキは商業ビルの寿命は20年としており、解体が容易であるというところをメリットとしていた。が、この構造が裏目に出た。
この構造を知って対象に選んだかは不明であるが、築27年。既に寿命を過ぎた建物の「加齢」なる最後であったのか・・・、
初めての海外旅行で見たW・T・Cは産業経済の先端を行くマンハッタンの中心的シンボルであり、天空に届かんとする姿は、外国への憧れと強いアメリカを僕に植え付けた最初の建築であった。

インド日記つづき

煙が上がっていた。焔がちらつく。今まさに肉体が溶け、灰と化してゆく。人間を焼いているという感覚は受けない。遺体はガンガーの水に浸され白い布(女性は橙色)に包まれキャンプファイアーのごとく積まれた薪に載せられるらしいが、すでに黒い塊にしか見えず、異臭も届いてこなかった。
ここには悲しみはなかった。日々繰り返される「行い」に過ぎなかった。(合掌)
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ここが一つの通過点だった。「豊饒の海」を読み終えた瞬間だった。一つの区切りがついた。まさにその時、背後黄泉の国より日が昇り始めた。周囲の客が一斉に向きを変える。カメラを向ける。(線香花火の玉のような光がゆっくり昇る)ガンジスの日の出だった。岸辺では沐浴が始まった。静かに入水する者、ジャブジャブ飛び込む者様々。有史より繰り返される朝のハイライトだ。遠くからヨーガの曲も聞こえる。朝の時間が人間にとってエネルギーや能力を充填する期間であるということが分かる気がする。
みなさ〜ん「ナマスカール!」すっかり青空です。ガートは端から端まで84程あるらしいが、ダサーシュワメード・ガート(ガートのイメージ写真に使われるところ)がやはり一番盛っています。マニカルニカーからハヌマーンあたりまで眺め、朝の観光は終わりました。船頭さんお疲れ様でした。(一人50ルピー、チップを払いました)朝食は9時からと決め、解散です。
今日はガイドのアロクさんが手製のオムレツを用意してくれるとのことです。(インド定番の朝食です)場所はいつもの「檻」ではなくレストラン「サンライズ」ここはまさにサンライズやね。
まずはマンゴージュースが出てきました。これはジュースだからガンガーの水は使ってないよね!信じましょう。朝の身体にやさしい甘さです。例のごく薄のトーストが運ばれ、アロクさん手製のオムレツの登場です。塩コショウだけのような普通の素人たまご焼きですが(失礼)「うまいっすよ」チーズを入れたものや、生姜を効かせたものなど何種類かあるようです。なかなかうれしいサービスです。ガイドも親睦を深めるためのオリジナルプログラムでしょうか?
ほんとこの環境はバカンスしてます。ここだけ見たら地中海(メディテレーニアン・ハーバーと片仮名表記したくなるリゾーティックな雰囲気です)を見下ろすレストランかと思う程、明るい海辺の空気が漂います。(インドなんですが)しかも汚わいに充ちたベナレスですぞ。まったく何でも存在するエネルギッシュな町です。
午前中はフリータイムということで路地の商店街に繰り出してみますか?昨夜寄った中国女性のいる洋品店を再訪してみます。「きれいなお姉さんは好きですか?」って言いたくなるよね。中国の女の人。(どうも少し古さの漂う垢抜けない女性が好みのようですね?)
絞り染めのような布があったので広げてみるとガネーシャ(シヴァの息子)でした。何か引かれるものを感じ買ってしまいました。二枚で600ルピー(ほんの少し値切りましたよ)
お店の前をサリーを着た女性方がおしゃべりをしながら通りました。インドでは女性が肌を出すのはタブーと聞いていましたが、サリーというのは結構肌を露出していることに気付きます。脇腹です。おばさま方の肉爆弾ともいえる脇腹はできればお隠しになったほうがよろしいかと(・・・、)背中から脇、胸の下までは生肌です。かわい娘ちゃんが着ていると素晴らしい衣装です。(お〜っ)・・・