時代の流れかな〜

長期優良住宅・・・時代を表す言葉か・・・建て替えサイクルを延ばし環境に貢献する住宅?・・・不景気なのに質の高い住まい・・・CO2を減らす・・・冷暖房を抑える・・・断熱性能を上げる・・・建設コストは上がる・・・経済負担も増える・・・建て控える・・・不景気回復せず・・・申請手続き用ソフト導入厳・・・事務手続き作業負担増・・・質の高いデザイン不要・・・間取りプランの標準住宅のみ延命・・・隣と同じものを造っていれば良い・・・街並みが揃う・・・きれいだ(違うだろ!)・・・デザインより住環境の質の高さを優先する時代に入ったようだ・・・絵描きの時代は終わったのか・・・安藤忠雄氏の「住むことは戦うことだ」が通用しない世の中なのか・・・夏は暑い、冬は寒いんだよ・・・エネルギーかけて適温にしてしまうことこそ環境破壊ではないのか・・・ちょいと極論だが、・・・工業製品づくめの高断熱住宅が環境に良い?・・・製造過程・現場廃材を含めてCO2は減らせる?・・・人間が裕福になり快適を求めて産業が発展してきたのだが・・・地球規模で考えると大半の人々は不快な生活(環境に良い生活)をしているのだが・・・話がまとまらなく・・・うだうだ愚痴ってしまった。m(_ _)m
(歴史は繰り返すんだよ・・・。

インド日記つづき

 ムガル帝国の話
インド北部を旅行すると観光地で度々聞くことになるのがムガル帝国の話だ。インドで一番有名な世界遺産タージ・マハルもムガル朝時代の建築であり、デリー、アーグラを周るツアーではほとんどムガル帝国を観光するようなものである。ヒンドゥー教の国に来たはずなのだが、連れて行かれるところはイスラームの施設ばかりなのだ。どうやらこのエリアを旅する場合、この王朝の知識が少なからず不可欠のようである。
ムガル帝国は、モンゴロイド系の王朝としては史上初めて1526年からインド南部を除くインド大陸を支配し、1858年まで存在したインド最大のイスラム王朝である。
中央アジア出身で、ティムール朝の王族ウマル・シャイフ・ミールザーを父に、チンギス・ハーンの次男チャガタイを祖とするモグーリスタン・ハン家の王女クトルグ・ニガール・ハーニムを母とするテュリュク・モンゴル系の遊牧民族バーブルを初代皇帝とし、彼が現在のアフガニスタンからインドに移って建国した。
王朝名ムガルは、モンゴル人を意味するペルシア語のムグールを短縮した読み方であり、すなわち「ムガル帝国」は「モンゴル人の帝国」という意味になるがあくまで他称である。
第二代フマユーンは、アフガン系スール人に追われペルシアに逃げ、ムガル朝は一時中断したが、その後スール朝を倒してムガルを再建した。フマユーンはその翌年急死し、わずか13歳のアクバルが後を継いだ。このアクバルの時代にムガル帝国は急速な発展を遂げ、グジャラートベンガルパンジャーブ、シンド地方を帝国に入れた。アクバル死後、ジャハンギール、シャー・ジャハーン、アウラングゼーブと続く時代がムガル帝国の全盛期である。
アウラングゼーブの時代には、アフマドナガル、ビジャープールなどのデカンの諸王朝を征服し、ムガルの支配はインド半島南端近くまで及び、最大の国家となった。
しかし、このような拡大の一方では、インド各地において土着の領主的階層(その多くはヒンドゥー教徒)が急速に実力をつけ、ムガル支配は足元から崩されつつあった。なかでも最も強力な勢力に成長したのはデカン地方を中心とするマラータと、北インドからパンジャーブを拠点としたスィクの勢力であった。
ムガルは、ヒンドゥー教徒のマラータに対してはアウラングゼーブ自らデカンに遠征し、その晩年のほとんど30年間を費やしてマラータ制圧を試みたが、ついに成功しなかった。
一方、スィク教徒に対してもその教祖(グル)を捕らえて処刑するといった残酷な弾圧を繰り返したが、これもまた根絶することは出来なかった。
1707年、アウラングゼーブが死ぬと各州が独立の動きを示し始め、ムガルは急速に分解し始めた。その結果ムガル帝国は内実を失い、その後の代々の皇帝はなんらかの勢力によって擁立された傀儡(かいらい)のような存在になっていった。・・・