桜井建築設計事務所

業務内容

  • 住宅を主とした建築設計・監理業務
  • 既存住宅のリモデル(改修工事)の設計
  • 店舗設計・店舗リニューアル工事の設計
  • インテリアデザイン・看板ロゴデザイン

デザイン費用

  • 新築工事 : 床面積(m2)×20,000円
  • 改修・リモデル工事 : 工事費の10%〜

事件の舞台となる「館」デザインいたします。

インド日記つづき

一方、バクサルの戦いでベンガル太守、アウド太守、ムガル皇帝の連合軍を破ったイギリス(東インド会社)は1765年、ベンガル州の行政権をムガルから獲得し、インド植民地化の大きな手掛かりを得た。イギリスはその後、マイソール、マラータなどのインド勢力を次々と破って植民地化を推し進めていった。その間ムガルにも利用価値を認めて名目的な存在として存続させることを得策としていた。しかし、1857年、いわゆるセポイの反乱(インドの大反乱)が起こると、翌1858年、イギリスはムガル帝国を正式に廃絶し、インドを直轄植民地とした。
以上簡単なムガル帝国の歴史である。
現在各地に残る遺構は、ムガル帝国が最も繁栄していたアクバル、シャー・ジャハーン、アウラングゼーブ時代のものであり、その巨大な権力の大きさが計り知れよう。
しかしながら、ヒンドゥーの国インドの最大の遺産が、侵略者であるムスリム勢力の施設であることは寂しい話で、タージ・マハルなど今やインドの顔ともなっていることはなんとも皮肉である。
逆に基点を変えて考えるとムガルこそがインドを創ってきた歴史でもあるのだろうか?
 タージ・マハールを見学
10時、ガイドが迎えに来た。アーグラと言えばタージ・マハルです。ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃のために22年の歳月を掛け建てた白大理石の世界一豪華な廟(お墓)というのは有名ですが、タージ・マハルというのはこの亡くなった妃の称号ムムターズ・マハルが変化したもので、宮殿の意味ではない。
世界各地から膨大な量の貴石を取り寄せ、また職人が集められ天文学的な費用をかけて1653年に完成したとされている。(世界遺産登録は1983年)
世界遺産の番組や映像で見慣れている建築だが、やはり見ておかなければならない代物だろう。大理石の汚れを防ぐため、半径500mは車の乗り入れが禁止されているという大事なお宝なのだ。
一大観光地だけあり、観光客の数もこれまで最大である。西洋人は団体で押し寄せている。インドへ来て思うが意外と東洋人の姿を見かけない。外国人の多数はアメリカ人、イギリス人である。ヨーロッパへ行くと日本人、韓国人を多く目にするが、「それは周りが西洋人の中へ行けば東洋人が目立ち、インドのような東洋人顔の世界では西洋人が目立つだけという事なのか?」そうなのだろうが、実際インドへ来る外国人ベスト3はイギリス、アメリカ、日本らしい。どこの国でもベスト3に入る日本は旅行好きな人種なのか?(まわり中海だから外の国を見たくなるのかしら?)
横道にそれたが、タージ・マハル。シンメトリーの美しい玉ネギ建築であるが、イスラーム建築というのはモザイクや草花彫刻だけのためか、のっぺりしていて遺構としてはなぜか魅力に欠けるのだ。好みの問題だからどうしようもないが、遠くから眺める程度で良い建築である。そのスケール感を味わう意味では写真では到底分からない大きさという絶対の現実が、目で見るという行為である。これは事実である。・・・