研究室にて

仕事(事件)がないのは平和ということか・・・、
現実には部屋に相談に来るような特異な人間はそうはいない。ミステリじゃあるまいし・・・、
業務に用途不明施設の調査や建築設計を追加することにした。
教授は朝から出かけたままだ。
宅配ピザでも頼むかな・・・、

インド日記つづき

四方にミナレット(等)があるがやはり登ることは出来ない。「塔は登るためのもので眺めるものじゃないのに何度言ったら分かる!」これも施設の魅力を下げている要因か?
皇帝はさらに自分の墓を黒い大理石で対岸に建てる構想をしていた。橋で結び白と黒が対をなして完全なものとなるはずであった。・・・しかし・・・、タージ建設で国力を下げてしまった皇帝は責任を問われ、帝位を狙う三男アウラングゼーブによりアーグラ城に幽閉され、夢を断たれてしまう。優美な中にもの寂しさが漂うのはそんな皇帝の最後を見ていた建築だからなのか?
救われるのは娘の配慮で妻の横に帝も眠ることが出来たことだろう。そうです!ここはお墓ですので眺めて合掌するだけで良いのです。僕らの反応の無さにガイドも理解不能のようで「ここは皆さんすっご〜いとか声を出すのですが」、ガイドの気持ちも分からないではないがテンションが上がらない建物であることはしょうがない。(感動するより肌で感じとれば良いのです)
送迎バスの周囲は少年物売りギャングの出没エリアです。タージの写真集、絵ハガキ、孔雀の扇子、中でもTシャツ売りはすごいです。一枚200ルピー、三枚で500ルピーが、四枚、五枚でと増え、しまいには九枚で500で買えときた。「元はいくらなんだよ!」でもいらない。タージ・マハルのTシャツなんて日本で着てもみやげ品丸出しのインド行って来ました自慢のような格好するかよ!
世界遺産をあっさり切り上げホテルに戻りました。帰還後、ホテル付近の店でインド音楽のCDを買いました。ジャンルはホテル内にもポスターが貼ってあった流行りの映画のサントラです。「チャンドニー・チョーク・トゥ・チャイナ」というタイトルで車の中でもかかっていました。ミーハー的ですが妙に頭に残り引き付けられる曲です。(ノリが良く、インドーって感じ!)CDは以外と高く、日本で買うのと大差ありません。(ボラれたのかな?)
お昼はホテルのレストランでインディアン・スタイルです。(いいかげんに慣れてきました?)中華も選択がありましたが、ここはインドですからまだまだカレーOKです。
13時00分、アーグラ城見学です。ヤムナー河岸にそびえるこの城は、1565年アクバル帝によって築かれたムガル帝国の権力の象徴です。壕を渡り、城の南側のアマル・スィン門から中へ入ります。デリーのレッド・フォートと同じ赤砂岩で覆われ、タージより迫力があります。(城ですから)
ここでインドの観光施設の入場システムというか、職業シェアの一コマ。チケット購入後、ボディチェックのゲートを通るが、その際に同行する親父(施設ガイド)がいる。これは通行許可を頂くための補佐人で、チップも払います。(旅行ガイドが)この数mを歩くだけの仕事である。何となく日本の天下りの仕事のようである。お礼を言い(なぜ?)先へ進みます。
内部はイメージと異なり広々とした庭園などが続き、ディーワーネ・アームと呼ばれる柱とアーチが連なる美しい謁見の間(シャー・ジャハーンが造ったもの)や、貴賓の間などの宮殿施設が並びます。シャー・ジャハーンが幽閉されたのもここで、ヤムナー河を見下ろす高台から遥か妻の眠るタージが望めるようになっています。ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)と呼ばれ、1666年、74歳で亡くなるまでここから眺めていたそうである。どんなに栄えた施設も主のいなくなった建物はどうしても風化して見えてしまう。建物も主と共に死んでいるのだ。・・・