引き続きシャンボール城

フランス・ロワール地方にある古城。
フランス王フランソワ一世により1519年からドミニコ・ダ・コルトナの原案で建設が始まったもので中世の城郭建築のようだが、単純な幾何学図形を駆使した左右対称の平面や、垂直性と水平性をバランスよく構成したファサードによる近世フランス・ルネッサンスの建築である。
正方形に近い天守と四方に円筒の塔型城壁に囲まれる監獄的な城だ。平面は中世以来の城塞形式を完全に踏襲しているが、姿はルネッサンスというより来るべきバロックを予言するかのような過剰な装飾性を帯びている。その中央に直径8m程の大螺旋階段があるのだが「二重螺旋」である。蹴上げは低く緩やかに上がる階段は、柱形レリーフを施してある壁と平行四辺形の開口部が交互に並ぶ程度で外観のわりにシンプルな造りで、一方の階段を上る人と、他方の階段を下りる人は決して出会わない(はず?)の仕掛けである。
しかし、このシャンボール城の階段は正確な意味では「二重螺旋階段ならではの特異性」を保持していない。確かに図形的には二つの階段は交わらないが、各階の床と「接続」しているのでAの階段を上った人が、二階で一度階段から出て周りの床を半周すればBの階段に移ることが出来るのだ。これでは動線の分離という意味では不完全である。しかも二重螺旋階段のもう一つの特徴ともいえる「頂きのつくり」もじつに冴えない。「渡り橋」的な意匠が見られず、手摺りが途中で終わっていてなんとも不手際だ。(じつは後世に塔屋の増築が行われ、本来の「続き」の姿が見えなくなってしまったらしい)
階段はレオナルド・ダ・ヴィンチの案ではないかと言われているが、彼の設計の要である施設への「必然性」の姿が弱いため、彼の案ではないとする説も多々ある。しかも彼は着工の数ヶ月前には没している。しかし多量の人間が絶えず往来していたであろうこの城は、動線の要である中央に階段を置き、二重螺旋とすることでその「機動力」を二倍にしたことは機能的な意味では「正解」のようである。さらに正方形の中央から四方へ広がるプランゆえ、四方から利用できる「四重螺旋階段」となってこそ機能が「完全」となる構想もレオナルドの原案から伺える。後の日本の「栄螺(さざえ)堂」にも影響を及ぼしたであろうと言われるが確たる証拠はない。