お城の壁穴には要注意!

中世初期のヨーロッパでは、世情が安定していなかったため、貴族の住まいは防御性が優先され、塔状に建築されることが一般的であった。これらの建築の表面をよく見ると、周囲に窓以外の小さな穴が多数設けられているのが分かる。天守(塔)はもともと敵の攻撃を防ぐために考案されたもので、これらの穴は敵を撤退させるためのものであった。例えば、縦長の細い開口部は「銃眼」と呼ばれる穴で、兵士たちは体を隠しながら銃頭のみ穴から外に出し、鉄砲を撃った。また、建物頂部にはその下にいる敵に対し、溶かした鉛や熱湯を浴びせかけたり、石を投げたりするための穴が設けられていた。やがて18世紀後半になると、ピクチャレスク建築のひとつの動きとして、中世愛好者たちが、邸宅を中世風に造ることが流行し、その際用いられたのが、銃眼や胸壁といった城郭建築のモチーフであった。このような建築は「城郭様式」と呼ばれ、「ゴシック・リヴァイヴァル」の先駆けとなった。天守に開けられた穴は、敵から攻撃された際、つまり緊急時のために設けられたものであったが、平時にも穴には注意しなければならなかった。(なぜか?)天守では周壁にそって便所が設けられ、そこから糞尿を外に垂れ流すのが一般的であったからだ。糞尿は外に放り出してしまえばよいという発想で、建物の外のことはほとんど考られてはいなかったようである。(・・・、)
いずれにせよ塔につくられた「穴」からはろくなものが降ってこなかった。(頭上注意だね。