呪い鎮めの塔

法隆寺の謎(10月22日参照)第五の答え

法隆寺五重塔は、現身往生の塔と云われている。この塔から太子の子孫二十五人が、西に向って飛行したところからそう呼ばれている。往生とか西へ向っての飛行は単なる死ではなく、復活である。一族を往生、西行させるという再生の塔の性格を持っている。また塔というのは、仏舎利を納める施設でもある。
柱の下の火葬人骨であるが、これは当然のごとく「聖徳太子もしくは山背皇子」のものと思われる。これはインドの釈迦の復活を願い、骨を祭る舎利供養からきているものである。一方、「空の舎利器」は本来の舎利崇拝の姿を模したダミーであろう。日本人は死人の骨を天井高く上げるより、地中深く埋める方が葬る姿として自然であったのである。
塔の四面を飾る塑像は、太子の「あるべき姿」(生−死−舎利供養−復活)を表したドラマであり、丁重に葬られ、間違いなく浄土に再生することを願った「つくり手側」の台本である。つまり、建設者が望んでいる聖徳太子の理想の姿であり、鎮魂の表現でもある。
心柱にくい込んだ石であるが、創建時の塔の内部には、「地獄の像」が造られており、この地獄を石の蓋で閉じ込めてあったという。蓋を柱にくい込ませ、絶対開かないように「封印」したのではないか、この石はその名残りではないだろうか。(いいかげんな推測)
他にも「相輪の鎌」や、塔の四面の一層から四層までに張り付けられている木札は、「魔除け」とされるが、施設全体にこれでもかというくらいに、法隆寺建設者の怨霊に対する「措置」が施されている。
(たしかに「魔物が住むような」美しさがあるよね。