夢殿とは

法隆寺の謎(10月22日参照)第六の答え

法隆寺(西院)は伽藍として完成している。にも関わらず、なぜ東院(夢殿)なる建物が建てられたのか?すでに第五の謎までをお読みになられた読者諸氏は推察ができますよね。「聖徳太子の怨霊が復活したから」であります。(やはりね、
太子の霊は、橘三千代をはじめとする朝廷権力者の必死の聖霊鎮めの願いも虚しく、再び猛威をふるったからである。天平九年(737)不比等の第二子房前(ふささき)の病死から始まり、末弟藤原麻呂、嫡男武智麻呂(むちまろ)、三男宇合(うまかい)と次々に要人の命を奪った。疫病とはいえ、太子の呪いと考えてしまうのも理解できないことではない。
不比等神道の国づくりは夢を絶たれ、一族の行いを自ら償うべく、子孫たちは太子の納めた仏の世を「頼みの綱」として、仏教そのものの中に溺れてゆくのである。(太子の思惑通り、
怪僧「行信」によれば、この続く不幸は、まだ太子の霊が慰められてはおらず、生前住んでいた斑鳩宮跡も荒れ果てたままでは、法隆寺はいまだ整えられていないと考えたのである。二度と怨霊が出られないように完璧なお堂を建ててこそ「完成する」と施行され、現在の姿となったのである。
夢殿は聖徳太子のお墓であり、堂内の救世観音(ぐぜかんのん)は死後の太子像である。二度と怨霊として復活しないように「処理」を施してあるのは承知の事実である。(10月22日参照)
・・今宵も年を忘れてきます。