続・インドの河の話

ガンジス河と並ぶインドの二大河の一つ、インダス河。このインダスというのは英語名であって、古来、現地ではシンドゥ河と言う。この流域に栄えたインダス文明以来、河を背景にした文明が連綿と栄え、インドと西方との接点ともなった。そこで、この流域に住む人々も、その宗教や言語も「シンドゥ」と呼ばれ、それがペルシャ語でSが落ちて「ヒンドゥ」となり、ギリシャ語では「インドス」となった。ヨーロッパに伝えられると、フランス語では「アンドゥ」、英語では「インディア」となって、独立後の英語の国名ともなった。一方中国では、初めシンドゥは「身毒」と音訳されたが、仏教が伝えられると「天竺」と格上げされ、唐代からは「印度」と書かれて、それが日本に伝えられた。
インダス河はインドの国名の元となっているが、インド人自身は、インドをバーラトと呼ぶ。(地図にはBHARATと書いてある)インダス河の下流域はシンド地方と呼ばれ、現在はパキスタン領である。上流域は五つの支流域に分かれているので、古来「パンジャーブ(五河)地方」と呼ばれてきた。豊かな水量のもとで農業が栄え、「緑の革命」の成功地としても知られる。ところが、英国から独立のときに、この地方は二つに分割されて、東半分がインドのパンジャーブ州及びハリヤーナー州となり、西半分はパキスタンパンジャーブ州となった。しかもこの地方の中心都市であり、ムガル朝時代に栄えた古都でもあるラホールがパキスタン領となってしまったので、当時の首相ネルーは、ラホールに対抗しうる新都市の建設を決意した。その設計者に抜擢されたのがル・コルビュジェであり、その新しい州都がチャンディーガルである。(新都市にはコンクリート建築が乱立することになる。
このパンジャーブ州を本山にしているのが「スィク教」で、ターバンを巻き、あご髭を伸ばした屈強な姿の男が多い。なぜか日本にはこの姿のインド人像が伝わり、「ターバン姿の蛇使い」などが典型的なインド人のようなイメージになってしまった。(・・・スィク教徒は全インドの2%程なので彼らの「宣伝」は成功していると云えよう。
(なんか話はずれたような・・・、