赤い城

ラール・キラー

ヤムナー河のほとりのデリー城は、ムガル朝第五代皇帝シャー・ジャハーンによって建設されたので、シャー・ジャハーナーバードと名付けられたが、その赤砂岩の城壁と門から「ラール・キラー(赤い城)」と呼ばるようになった。それはスペイン・グラナダの城塞の赤い色ゆえんの「アルハンブラ(赤い城)」と呼ばれるのと同じである。1639年に建設を始め、48年にアーグラから遷都した。今は敷地の過半を軍が占拠しているがかつてはそこに城内町があった。堂々たるラーホール門から続くトンネルは、今も店舗が連なるマーケットである。(装飾品が多い)
ラーホール門とデリー門は城門建築の傑作で、屋上のチャトリ(小亭)群がインドらしさを演出している。ディーワーネ・アーム(一般謁見の間)とディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)を始めとする宮殿施設群は、いずれも矩形の平屋で造形的には乏しいが、細部は完成されたムガル建築を示している。特異なのは1662年に建設されたアウラングゼーブ帝の宮廷礼拝堂ともいうべき真珠モスク(モティ・マハル)で、小さいながら全て白大理石によるバロック的な装飾過多造形を見せている。(現在非公開)
市内に同名のレストランがあり、名物「タンドゥーリ・チキン」発祥の店で外国人ばかりで賑わっている。 「よっちゃんいか」のようなエイリアンカラーの肉だが美味です。