玄関

玄関という言葉は、なにか厳しい響きと、黒いイメージが伴う。(玄人を黒人と取り違えていません?
玄関の「関」は明らかに「関所」、「関門」などと同じく、内と外を厳しく隔てる意識を表している。それでは「玄」はなにかと云うと、これは禅(心を鎮め真理を求める)の境地であり、「玄妙」の略で、玄関とはつまり、「玄妙に入る関門」のことである。この呼び名は玄関という様式の生まれ故郷を示している。玄関の起源は、禅宗の方丈(住職)主殿から突出した出入り専用の「庇」にあり、それが中世の書院造に移入されて少しずつ形を変えていき、江戸時代になると、武家屋敷における「敷き台(入口前の板敷き)」を構えた出入り口を指して玄関というようになった。明治時代以降も規模を縮小しながら、庶民の住宅にまで普及した玄関という入口の中に、当初からの「関門」的意識が継承されていて、それが住宅の内部を外部と明確に隔てる装置として、現在も当たり前のように役を演じている。しかし住まい方が多様化してきた昨今、「玄関がない」家も現れている。確かに「通行」のみにしか利用しない空間に、「建設コストの高い空き部屋」とするのは吝かではないと考えるのも理解できる。もとより玄関は客を迎える場としての意味合いも強いので、「私が住む家」には不要とする考え方もある。特に日本の「靴を脱ぐ」文化により、「段差空間」というものが必要であったが、バリアフリー社会となるとこの意味合いも弱くなってきたこともある。とはいえ玄関がいるか、いらないかという話ではもとよりないのだが・・・、
月曜日は元気にスタートしよう。