暖炉

今日は冷えますね。寒いと「火」にあたりたくなりますが、
「暖房装置」としての暖炉は、実は効率は悪い。それは燃焼によって発生する熱の大部分を煙突から排出してしまい、室内にはわずかの輻射熱を放散するだけなので、それ一つで部屋全体を暖めるのは難しい。よって暖炉は、暖房としてはあくまで補助的、付加的な役割に過ぎない。
効率が悪いゆえに現在でも暖炉は贅沢品的なイメージが伴う。しかし、暖房装置というだけの価値で考えるとそうなのだが、インテリア性や精神性という雰囲気を加味すれば、暖炉は飾り的な贅沢ではなく、精神的な豊かさの贅沢ではないかと思う。暖炉をつくるにはたしかにコストがかかる。しかし「動く装置」ではないので、機械としての暖房器具と違ってあまり壊れそうもない。その上身の回りの可燃ごみなども、汚染物質でないものは燃料に出来そう。(内緒)維持費を考慮すれば、暖炉は十分に投資に値する装置ではないだろうか。(受け売り、
先日、リフォームをした知人の家に招かれ、暖炉を囲んで飲みかつ語り合う機会を持った。宴というのはアルコールが進むにつれじわじわと盛り上がり、やがてピークが訪れ沈静化してゆく。一部の客が帰るときまってお開きとなってしまうが、「場」のなくなった空間に家主が、火勢の弱まった暖炉にあらためて薪を入れる。やがてチラチラと焔をあげ始める。するとなぜか「場」も復活するのであった。やはり「火」には精神的な力がありそうで、焔を見つめるだけで、感情の共有をさせてくれたのかもしれない。
暖炉とは「時間」をつくる装置なのかもしれません。 (かっこつけすぎ、