迷路は五角形

生垣による庭園迷路は「矩形でない(周りくどい言い方をしなければ五角)」形に造られることが多い。この形がすでに人の方向感覚を狂わせるらしい。不思議なことに人の頭の中にある基本的な形は、三角形や五角形ではなく、常に四角形なのです。四角い家、四角いテーブル、四角いベッド、四角い紙、四角い本・・・・普段付き合っている物の多くが、矩形(四角形)で出来ている。例えば、通りなどを覚えやすい市街は、必ず碁盤の目のように四角く区切られた街であり、逆に迷いやすい、というのはそれが崩れていて、斜めや曲がった道が交錯した「四角ではない世界」で起こりやすいのです。特に五角形の曲がり角は、人の頭の中に入ると「四角の曲がり角」と認識されやすいので、このような所で右折左折を繰り返すと、基点となる位置を失い迷ってしまうのです。(ハノイの街などは斜めの道が溢れ、「渡れる所」を捜して移動を繰り返すので、「記憶の更新」がうまくいかなくなる)また、角度以外に感覚を鈍らせる要素に「見通しが利かない」がある。高い建物や木々の生え茂った世界は、その名の通り見通し(つながりの予測)が効かないので、先の見えない世界ではやはり迷いやすいのです。(ヴェネチアなんかその極地)これは生き方についても云えることで、人はある程度先が見えないと、迷い、悩み、方向を失うことがある。人生は迷路のようなもので、日々問題に突き当たり、考え、選択し、終わりのない欲に走り続けている・・・、先が見えないからこそ夢があり、希望が持てるというが、そう簡単に割りきれないのも・・・・・・(話しまで迷ってしまったが、
(昨日、からくりは「機械仕掛け」と訳したが、なぜかこの言葉には「だます装置」という響きがあり、迷路も「からくり」の一つではないだろうか。人生あまり取りこし苦労せず、その日その日を大事に生きましょう。