教科書問題

「教科書問題」という言葉を最近聞かなくなったが、この問題の大半は「外交問題」に絡んだ「過去の負の問題」に多く紙面を費やしていたことは記憶に新しい。しかし「直接の問題」はますます「問題」と云わざるを得ない。今の教科書がフルカラーになっていることに何の不思議も感じなくなっていることである。2002年以降、「色覚検査」は廃止になっているが、教科書自体が「検査表のように」カラー化している。理科や美術はそれ自体が写真や図版によるもので、実写(カラー)が必要であっただろうが、書写や国語、算数まで、全編フルカラーになっている。問題なのは、「色の判別性」を利用して問わせる問題が多く見られることである。これでは色の見分け難い生徒は教科書が何を云わんとしているか分からない。(黄緑のおはじきは何個?など)はたして算数の授業の中で色について教える必要があるのだろうか。学習の本質とは無関係で、「見分けること」自体に神経を使うことになってしまう。ものの集合体を教えるための手段には、種類、形、大きさ、模様などいくらでもあるのに「色」で分類するという傾向が非常に強い。色を付け、「学術書」の堅苦しい雰囲気を排除し、学習意欲を上げることを目指しているのか分からないが、「学習」をテレビやアニメと同じような「ゆとり」と思い違いしていること自体、そもそも問題である。
(カラーユニバーサルデザイン推奨者