神の意志あらば

日本人はイエス・ノーをはっきり言わないと云われますが、イスラームの人々のイエスも似たようなあいまいで、しかもたいへん響きのよい言葉が使われます。
例えば、「では明日の10時に」という「約束事」に対して、彼らは「イン・シャー・アッラー!(神の意志あらば)」と答える。イエスなのかノーなのか意思表示をしないようにとれるが、「神の意志あらば」とは、「はい承知しました。そうします」という形で使われる。イスラームの世界では存在するのは常に現在だけである。過去に決められたことも、そのとき(現在)になってみなければ分からないと考える彼らは、約束をしていてもそのときになって心と身体の調子も変わるし、物事の優先順位も変わってくる。神の言葉は不変であるが、人間は変わるもの、移ろうものであると認識している。ある意味「約束はできない」が、「神がそれをさせてくれる(加護される)のならば、そうします」という意味である。
なんとも都合のよい言葉であるが、100%確実なときでも使われる言葉なのでイライラすることはない。しかし期待通りすっぽかされることもある。(・・・、)優先順位は常に情況に応じてそのときそのときで変わるものだと考えるのである。・・・(なんとなく
「昨日のこと?そんな昔のことは忘れたよ。明日のこと?そんな先のことは分からね〜な」みたいなクールな生き方と思いません?