大日本帝国

矛盾している平等教育

先日の新聞記事にあったが、日本は平等・仲良し教育をしている一方で「金を取れ」と「突出」をおしつける。
「No.1にならなくてもいい〜」という曲がヒットするのは国民性とも云えるが、日本の教育には「全員No.2(はみ出しのない)」を「美」とする風潮がある。整体を乱す「突出」を嫌い、皆同じを良しとする考えである。制服などがその現れであるが、先日の冬季五輪の選手の服装問題が「ニュース」にまでなるお国柄である。姿の善し悪しをつけるのは個人の自由だが、「突出」したものを報道までしてバッシングするのは、情けないとしかいいようがない。「少数派の行い」を「悪行」と決め付けるのは、蛮行な未発達な行為である。「突出を不可」とするのは「金は取るな」と同じである。「服装を注意した方」が「やはり金が欲しかった」などと矛盾した発言をしているが、いつもの「政治家の問題発言」の一つなんでしょうか。「右へ習え、前へ習え」教育をしている国には、やはり金は取れないですよね。「公の場で大人に身なりのことを指導する」行為を「大人のすることはでない」と気づかない。ある意味「タワンティン・スウユ」である。
万世一系、この国は今でも大日本帝国なんですね。イタリア人でも気にとめない日本人によるドゥオーモのらくがきを自国民が告発するというお国柄ですから、