心ある人

イスラームの言葉に「ラーハ」があるが、日本語に訳し難い言葉だ。しいていえば「休息」や「安息」にあたるだろうか。しかし労働したから休むとか、疲れたから休息するといった受動的なニュアンスではない。むしろラーハを持つために労働するといった能動的で積極的な意義を持っている。イスラームではこのラーハをたくさん持つことが人間らしい生き方とされている。
日本では「おいそがしいところすみません」という表現が、呼び出しの決まり文句になっているが、「お忙しい」ということは日本では相手に敬意を表することになっている。「忙しい人」は「えらい人」で、「暇なやつ」は「えらくない人」のようなことになっている。過去僕の上司も忙しくないのに人前では「なにかとバタバタしてまして」などと方便する。「いそがしくないこと」は「かっこ悪いのか」、「恥なのか」、ただのウソつきなのか疑問に思ったものだった。
このような価値観は産業革命以降、産業化、工業化に伴い、生産性第一で突っ走ることに拍車がかけられ、走り回っていることが美徳とされてきた背景があるようだが・・・、しかし「字」をよく見てみると、なんとなく人の心を亡くしたような、「心ない」状態なのです。また「暇」とは「合間」のことであり、英語ではスペア、余備のことである。決して「劣ったり、恥ずかしい」ことではない。暇を持つことは「余力・知識」を「備える」ことでありそうです。イスラームには学ぶことが多い。犬も歩けばムスリムに当る・・・。
(「心ある人」に敬意を表したいと思います。(今日は冬に逆戻りだね、