ローマのピラミッド

ローマ市サン・パオロ広場に突如現る四角錐。
ピラミッドというよりオベリスクの先端のような鋭い「三角」である。ローマ時代につくられたというこのピラミッド、時代にそぐわないほど整った形をしている。15世紀にはすでに重要な古代の記念碑として評価され、内部の墓室は生気に溢れる女性のフレスコ画で装飾されている。1660年の発掘により、政務官ガイウス・ケスティウスの遺骨が納められた「正規な墓」である。躯体はコンクリートで表面をレンガで覆い、そこに大理石が貼られ、基部にはトラバーチンが貼られている。これにより非常に堅牢な建造物となり、エジプトのピラミッドには例がないほど鋭い角度で建てられている。東西壁面には故人の名前、肩書きのほか、建設状況が書かれているが、
紀元前1世紀、共和制ローマが終焉を迎えた時期に建てられたこの白い廟は、「環境に溶けていない」印象だ。紀元前30年エジプト遠征の後、帝国に沸き起こった「クレオパトラ熱」の影響がこの形をつくり出したようだ。勝利のおかげで、強大な属州であったエジプト式の記念碑や葬祭殿風が流行したらしい。個人的な霊廟がファラオのものに肩を並べるという箱モノ事業は、古代ローマの繁栄ぶりと「すでに芸術大国イタリア」を物語っている。
(なんかムガルの廟建築に影響を与えていそうな「不似合いな白」である。