まとまらない自邸

住まいの設計を業としていると、当然多様なプランや姿を味わうことになるが、他人(お客様)の家とはイエ、デザインする以上私的な趣味や好みが入ることになる。(悪趣味ではないと自負してるのだが)だから他人の家の場合は、そのお客様の趣味に合致さえすれば、「完成型」となる訳である。ところがいざ自邸を考えてみようとなったとき、「完成型」がないのである。「住みたい家」という概念が多様に飛び交ってしまい、一つにならないのである。ではとその案全てを合体させてしまえばいい、という訳にはいかない。
住まいをまとめるには、敷地状況、構造や材料、プランや姿など全ての要件が一致した場合のみ完成型となる。アジアンリゾート風、ウエスタンカントリー風、ゴシックカテドラル(ありえねー)、構造物的な建築家風など、イメージだけでも好きなものがフワフワ、ゴロゴロ(腹下しではない)しているとデザイン以前の段階でフリーズしてしまう。(結局電源OFF)灯台下暗し、医者の不養生と並び称されそうであるが、私邸を描くことは苦手なのである。そのとき、そのときの感情や趣味により、描く好みは日々更新されるので姿が静止しないのだ。そんな曖昧な「人間の記憶」のようで申し訳ないのだが、あらゆる形をつくりたいことと、好きな家を具現化するため、他人の住まいをデザインすることで一つ一つ「解決」して行くことにし、これを「職」とした訳であるのだが・・・、
(でも悩む必要はありません。「遊牧民」に住まいは必要ないからです。