手心

インドやタイなど東南アジアの人々は、挨拶をするとき合掌する。インドの場合は合掌して「ナマステ」と言う。ナマステのナマは南無阿弥陀仏の南無のことで、「帰依(安心して仏に頼る)します」という意味だ。テは「あなた」のこと。つまり「私はあなたに帰依します」ということになる。じつに相手を敬う丁寧な言葉だ。ナマステはともかく、僕らは墓参りや神社に参詣する際、両の手を合わせて合掌する。見よう見真似で無意識に行うが、両手を合わせるという行為は、実に奥深いものらしい。
右手と左手を合わせる合掌は、陰と陽が合体することで、右手が陽、左手が陰とされる。合掌することで、陰陽のバランスが調い、心が落ち着くとされる。左手から宇宙のエネルギーを取り込み、体内を巡って右手から生体エネルギー、生命情報として放出されるというのである。「掌」という字の和読みは「たなごころ」つまり「手の心」で、手の平は体の中心、「心を表した器官」である。
「働けど働けど 我が暮らし楽にならざる じっと手を見る」など、手の平(掌)を見て詠んだものだろう。手には心が如実に現れるらしい。手当たり次第に並べると、手触り、手探り、手緩い、手伝い、手助け、手習い、手柄、手品、手合わせ、手振り、手間、手回し、手早く、手荒い、手離れ、手厚く、手向かう、手詰まり、手懐ける・・・・・・(手短にたのみますよ。
(目は口ほどにものを言うと云うが、目よりものを言うのが手なんですね、