仮の宿

今でこそ「エコ」の名(騒ぎ)のもとに、長期ストック住宅という欧米様式に変わりつつあるが、日本はもともと「住まいは仮の宿り」という発想があり、「粋な新築志向」も手伝い、「スクラップ&ビルド」を繰り返してきた。
これは仏教の無常からきているらしい。「無常」とは、この世に存在するものは自然も含め全てが変化し、うたかたの命であるとことで、人、動物、自然、そして仏という全ての存在が一つの大きな生命系の中で生々流転しており、その無常の輪廻の中に人間も存在している。その人間の理想は、自然を征服することではなく、動物を狩猟することでもなく、自然に逆らうことなく、自然の一部として存在し生活することである。日本人が昔から住まいは「仮の住まい」としてつくることを良しとしたのも、この無常を悟る教えによる。
吉田兼好も「徒然草」の中で、〜住まいは仮の宿りなのだから、あまり凝って手を入れて飾り立てず、古びていてもあるがままに調和しているのがいい〜というのである。また、「南方録」にも千利休の言葉として〜家は洩らぬ程、食事は飢えぬ程にて足る事なり〜と簡素な自然主義を重んずる言葉を残している。
日本の文化はいわば木の文化であり、老朽化し腐ってきたところから常に材料を取替えながら暮らしてきた。また老朽化しないまでも、台風、地震、洪水といった自然の脅威によって、壊されたり、流されたりしたことも多々であった。災害に遭えばまた建て直すというのも、日本人にとっては自然な営みであった。
日本の住まいの短命さは、この「仮の宿」から来ているのかもしれない。
諸行無常の響きあり・・・新緑が眩しくなってきましたね。