バリアフリー再考

バリアフリーという言葉は、もともと身体障害者(これもあまり好きな表現ではないが)のためのものであった。ところが、平成の高齢者は虚弱老人(失礼)が多く、高齢者問題はそのまま身体障害者問題のようでもある。そしてこの言葉は、半ば住宅設計分野の必須問題となりつつある。しかし、はたしてそんなにバリアを取り払ってしまってよいものかという疑問がないわけではない。(なくなくない?)
昔の民家は至るところ段差だらけはもちろんのこと、その段差も半端ではない。農家の土間に面した部屋の床の高さといったら、腰掛けるにしても高めの「高さ」があった。しかしそんな高さを昔の年寄りは何の不平もなく、利用していた。(と思われる)というより、腰掛けるぐらいの段差は腰掛けてから上がれば、苦にならないもので、「それなり」の使い方があったとも云える。何れにしてもそのようなバリアのある家のつくりで、昔の人は自然と鍛えられていたことは間違いない。(通じ不調も「洋式」を使い始めてから増加しているとも聞く。
足を使わなくなった現代社会こそ、生活の中に少しは足腰を鍛える要素があった方がよいのではないか。その基本である「住まい」を何もかもバリアフリーにしてしまってよいものか?
老後を過ごすのみに建てるのであれば、「それなり対応住宅」もよいだろうが、「いつ車椅子生活になってもよい」ような「ネガティブな準備」は、バリアフリーを要する身体に成長するのでは?
バリアフリーをどこまで検討するかは一考の余地がありそうである。理想は「体を鍛えられるバリアフリーデザイン」なのだろうが・・・。
基礎代謝、高めてますか?