ディエンビエンフーの戦い

ディエンビエンフー。この何か語呂の響きのよい地名は、ヴェトナム戦史の中で一つの転機となった、フランス植民軍とヴェトミン(ベトナム独立同盟軍)との最後の激戦地のことで、ハノイの西250km、ラオスとの国境付近にある多数民族の住む小さな町のことである。
第二次大戦後、インドシナ南部は再びフランスの支配下にあり、フランス・インドシナ派遣司令部は、この山岳地帯に軍事要塞をつくり、ヴェトミンをここに引き付け壊滅させてしまうことを計画していた。一方強力な部隊をラオスに展開していたヴェトミンは、周囲の少数民族による、大量の大砲の配備や食料の供給を受け、この辺境地での作戦に地の利を生かした「民衆の力」で望んでいた。ヴェトミンは1954年3月13日から三派に渡り攻勢をかけ、5月7日、ついにフランス軍は2000人以上の戦死者を出して敗退した。
この「ディエンビエンフーの陥落」で西欧の植民地支配に終止符が打たれ、その後行われたジュネーブ会議で「ヴェトナムを、北緯17度線を暫定軍事境界線として南北に分割し、南北統一政府を樹立するための総選挙を1956年までに実施する」という休戦協定が締結されたが、アメリカは調印せず(南北統一はインドシナの共産化と考えたため)、この協定は新たな対決(ベトナム戦争)を呼び込むこととなった。
アメリカは昔からCo2排出削減には乗らなかったんですね。