六日目

7時発、またバスでプノンペンまで6時間かけて戻ります。(・・・、)
トンレサップ川からメコン川へスピードボートで、ヴェトナムのチャウドックを経由しカントーへ渡る方法もありましたが、予算的、時間的余裕がないので、同じ手段で引き返します。(芸がないな)・・・さすがに疲れがでてきたのか、ほとんど寝てばかりでプノンペン着。(ここはどこ?)まずここで明日のバスチケットを入手。(こればかり。・・栄養補給に近くの中華料理店(北京菜館)で餃子とビールです。(うま、)
またプノンペンに戻ってきてしまった。・・・さて、宿ですが、「目星」は付けてあります。この地でもう一つポル・ポト関係の負の遺産ともいうべき、「トゥール・スレン博物館」です。その近くに、各部屋のつくりが違う(アジア好きな輩にはたまらない癒しのインテリア)欧米人に人気のあるゲストハウスがあります。「ブディ・ツリー(これも1.2.3とある)」特に2が隠れ家的でよいらしい。セントラルマーケット前で、バイクタクシーの交渉です。(疲れますが常套手段です)ナンバーの入ったジャケットを着た(一応正規のドライバー)のおじさんに、「チュムリアップ・スオ(こんにちは!)」(ニコニコしてる)・・指差し本を見せながら「サラモンティー・トゥオル・スラエン・タライ・ポンマーン(トゥールスレン博物館いくら?)」(〜までが抜けてる?)
「ワン・ドラ」(こいつら何でも1ドル)・・「ムアイ・ポアン・プラン・ローイ(1500リエル)」・・「バーンテー(手を振る親父)」・・(だめか)、「ワンドラッ」(少しは下げろよ)・・「ピー・ポアン(2000リエル)お願いのポーズ」・・・・「バーン(親父、乗れのサイン)」(O.Kってことね)
ものの5.6分でした。博物館前。「オークン(ありがとう)」じゃ〜ねと僕は博物館と反対方向へ。案の定親父は「博物館はこっちだろ」とゼスチャーしてたが、「バイバイ」と手を振りゲストハウスを目指した。
約300m、ありました。「ブディ・ツリーG.H」ここだけはリゾートです。緑が溢れ、いかにもなアジアンテイストなファニチャー。(いい・・。)1泊12$。質の良い綿シーツにモスキートネット。一人で泊まるにはもったいないくらいの仕様です。(たしかに欧米化です。)やつらうまいところ知ってやがる。
荷を降ろして先ほどのトゥール・スレン博物館へ。
ここはね〜。ベトナム戦争終結時から4年弱、ポル・ポト政権下で無謀な社会主義改革が行われた。それを妨害するとされる輩(元高官、学術者、教師、僧侶など)は反対分子とみなされ、ここに捕らえられ拷問された後、キリング・フィールドへ送られた。ここは当時「S21」と呼ばれた刑務所で、元は高校の校舎だったらしい。収容された人の写真や、拷問道具(その方法の図説なども)が展示されている。記録によると延べ2万人が収容され、そのうち生還した人は6人であったという。・・・具合が悪くなるような施設だが、なぜかこういう所に惹かれるんだよね。
・・・。今日は最後の宿泊です。ゆっくりカンボジア料理を食べたいと思います。(歩きます)「クメール・スリン」というレストラン。3階建ての木造建築です。ここの2階はテラス席で「床に座して」食事をします。(カンボジアの家庭での食事スタイル)。「変な外国人」が一人で食べています。(もう気にしません)お品書きはよく分かりませんので、ガイドブック掲載写真と同等のものを「指差し」で選びます。カンボジア料理は「香草」以外はクセがなく、どれもうまい「チュガニュ!」です。ご飯はインディカ米ですが、フツウにうまいです。日本語と同様、「食事」と「ご飯(バーイ)」は同じ意味で使われます。「ニャム・バーイ・ハウイ(ご飯食べた?)」
生暖かい風の吹く晩餐の喧騒の中、最後の夜が更けてゆきます。
(明日はヴェトナムへ戻り、帰路へつきます。