最終日

朝7時のバスで「始まりの地」へ戻る。同じように国境を越え、同じような環境の中、同じように欧米化されたバス(黒サングラスの疲れ知らずのご婦人方とCWニコルさん風なシルバー世代のバックパッカーに囲まれ)でホーチミンへ帰ってきました。一週間なにをしていたのでしょうか。午前は毎日のようにバスに揺られ、午後はバイク親父に抱きつき、ただ歩いてきました。(・・・、)今回は歩いての国境越えが目的でしたので、二度体験できました。が、毎度、旅の最後はブルーになります。人生は止まることができないので、また次の世界へ進まなければなりません。後一週間延ばしたところで、この気持ちは必ずやってきます。いや、経験がないだけで、半年以上も渡り歩けば、家に帰りたくなるかもしれません。一人で孤独を味わうと、己の姿が見えてくるようです。鑑賞眼や、吸収力も養われ、生きる力も付きそうです。(・・・無意味な自己診断はこのくらいにして、ここはヴェトナム。ホーチミンティーです。
空港へ向かうまで時間はたっぷりあります。アジア旅行のつらいところは「最終日が長い」ということです。ほとんどが深夜便のためと、「宿なしの身」として、「バックパックのまま」夜まで荷が下ろせないことです。(・・・、)
さて何をしましょう。・・・最後は買い物ですか?「ベンタイン市場」ですね。お洒落なバッグから衣類、アクセサリー、雑貨など目移りしますが、結局「観てるだけ」になります。ベトナム人、笑顔はくれますが、腰は低くありません。値切るのは難しいです。ここは社会主義国、ほとんどサービスは期待できません。(僕の場合は特別みたいです。(??・・・、
やはりアジアは物より「食」ですね。食材コーナーで興味深そうに眺めていると、試食させてくれるところもあります。結構日本語を話す店員も多く、楽しめます。さすがに足に疲れが出てきますので、もうあれこれ散策する意欲がありません。このテンションの低さが一日を長くさせてしまう要因でもあります。
時間つぶしにホーチミン市の中華街「チョロン地区」まで移動してみますか。フランス映画「ラマン」の密会の舞台となった「ショロン地区」。ここは在越華僑の住む地域で、「チョロン」という地名がある訳ではなく、「大きな市場」という意味で、中心部にある「ビンタイ市場」のことを指しています。中華街といっても横浜中華街のようなネオンキラキラのレストラン街ではなく、視覚的には中国下町の落ち着き感がない訳でもないのだが、「音」は華やかである。バイクのクラクションは同じだが、喧嘩をしているような「広東語」が飛び交い、忙しく動きまわる様は「中国〜」である。
ここまで来たら、やはり「サータイ市場」です。もちろん買い物ではありません。「ラマン」の撮影が行われたとされる?古い建物が並ぶ通りだからです。・・・記憶にある、ガラリ戸(外の喧騒を隙間から眺める横格子の目隠し戸)のある建物を探しますが、・・・そうと云えばそう。そうでないと云えばそうでない感じです。長屋のように続く黒ずんだ古い木造住宅が、100年前の街の面影を残していました。(昔の話ですね
近くにアルカンシェールホテルがあります。これもフランス統治時代の建物で、往時の雰囲気を残す貴重な遺稿の一つです。この街を見て改めてホーチミンではなく、「サイゴン」と呼ぶにふさわしいと思いました。
最後は駆け足の表現となりましたが、ここまでの行程を「7Daysバックパッカー」として計画しました。
(最後までご精読ありがとうございました。
離陸までにはまだまだ時間があります・・・。