「旅日記」

インドシナの次は支那を通り越してまたインド賛歌ですか・・・、(物語りに酔いやすいので、
土産に買ってきたマサラティー(チャーイ)やカレー粉が切れて久しい。(そろそろ禁断症状が・・・、
日本の住まいを探求するために、アジア圏の建築を観て周ることは、根にある生活や文化を知ることにもなる。日本もペットボトルのリサイクルとともに、気候も類似してきたので、ようやく「ASEAN」の仲間入りをした感じですが、建築様式もアジアへのシフトが求められ、西洋的な「住むための機械」から「生きるための殻」へ移行してゆくことになりそうです。(「頭」も卓球と旅を続けるには「ソーヤ」から「ジャック」へ模様替えしなければなりません。(そろそろ・・・、
「アジア圏」というくくり方と類似したエリア表現に、「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」というものがあった。第二次大戦に際して、日本が唱えたアジア政策のスローガンで、日・満・華を中心に、インド、ビルマミャンマー)、タイ、オーストラリアなどを含む地域の共存共栄を主張し、欧米諸国に代わって日本がアジアを支配することを正当化しようとしたものである。が、この言葉は終戦とともに姿を消し、日本は再び欧米化の道を歩み始めることとなる。云わば敗戦により日本の文化は、アジア圏から外されてしまったかの如くである。しかし、日本人や豪州人がアジアを旅して、「自分探し」や「己を出せる香り」を感じ取れるのは、文化は変わっても血は変わっていないと云へ、皮肉にも地球規模の気候変動が、日本もアジアであることを自覚させ、本来の文化へと軌道修正させ始めたようである。
(もし「大東亜共栄圏」が成立していた場合、現在のEUのような流通社会がアジアにおいても可能であったろうか・・・。