リビングルーム

リビング(居間)という部屋。最近はできるだけ広さを求める傾向にある部屋だが、この広さを十分に活用している家がどれだけあるだろうか。ほとんどの家では、食事はダイニング(食堂)で済ませ、その場でテレビを見て、その後は自室に入るか分散してしまうのではないだろうか。広い部屋を計画するからには、複数(多人数)で使う(団欒)場としての考慮ではなかったのか。(ドラマでも食堂が団欒の場として使われるシーンが多いですね)この現象は、食事を終えてからリビングに場を移して会話を楽しむという生活習慣が、定着していない証拠ではないだろうか。
「寝食分離」を掲げ、日本住宅公団(旧名)がLDKスタイルを取り入れたのは、1955年(昭和30年)のことで、既に半世紀以上が経過している。欧米スタイルになるにはまだまだ時間が必要ということなのか。いやいや、日本人にはそのような遺伝子が備わっていないのか。実際、リビング・ダイニングと呼ばれる一部屋の空間も、可動間仕切りなどで、食堂部分を独立させることを可能とする仕掛けを好む方も多い。独立した「客間」を持たなくなった今、リビングはなんとなく来客対応に残しておく意図があるのか、そもそも日本人は「食事中の姿」を見られることを嫌うようだ。(レストランでは平気なのに)これが「食堂=団欒」の場として定着した要因でもありそうである。逆に、外国など食事こそがおもてなしで、「ご飯たべた?」が挨拶の国すらある。食事中でも歓迎され、「食べてくか」と云わんばかりに「食事中」がオープンである。この違いが「リビングの使い方」に現れるのではないだろうか、「客用」に残しておくため、ソファなどを設え、気合を入れた反面、きれいにしておく、ゴロゴロできないなどの理由で「落ち着かない部屋」になってしまった。また、利用頻度を下げた理由の一つに、居間が「テレビの部屋」になってしまったからだ。「テレビがあればみんなが集まる」ばかりではない。そこは「テレビを見なければならない部屋」になったのである。見たくもない番組の説明(ナレーション)まで聞きたくないのだ。
このように「動線」が悪いことも「使えなくしている使い方」であるらしい。
以上の使い方を「生活改善」してまでリビングを大型化するか、他の部屋を充実させるかは、デザインの自由です。
(なんか答えになってないようだが、「居る部屋」ではないようである。