続・範疇論

久しぶりに「範疇論科学」の講習会に参加です。前回より一歩踏み込んだ内容(advanced class)です。
この「不思議な事は何故起るのか」ということを「科学」と結びつけるには、どうしても「哲学」という媒体を避けて通れず、哲学とは、人間の好奇心から発する諸々の疑問から出発していて、「真理」を追求することである。しかし、「範疇論科学」では、真理は一つであるから、現在著されている各様の「論」の多くは、知識や情報の少なかった時代のもののため駄論が多く、参考程度と解釈すべしと定義している。では、その「真理」とは何ぞや?という話になり、「真理」と「不思議な事」はどうも同じ「くくり」になるらしく、「この不思議な事を切り捨てず、発生確率は低いが科学(物理現象)ではないかと追求することが、真理へのアプローチではないか」と説いている。
真理を突き詰めると、「宇宙を貫く原理」となり、その原理は「宇宙意識体の叡智そのもの」となり、では「そのもの」とは何か?は「真なる原理(真理)」となってしまい、元へループしてしまうのである。(答えが見えないから哲学と云えるのかもしれないが)
「哲学も真理が見つかったら科学となるのである」とも説明されていた。三次元の人間には、抽象論としか映らないが、この「範疇論科学」の唯一目に見える成果は、「世の中(過去未来を含めて)全ての事象」を二次元表記「四つの区分エリア(マトリクス)にプロット(ポジショニング)」した『範疇図』を作成したことである。開発者の心理を追求する姿勢が伺えた。(永年の研究成果の賜物です)
今日は様々な質問も出て、そもそも次元の違いとは何なのか?なぜ四次元世界に「精神性」が加わると五次元と云うのか?さらに「神知識」が加わると六次元なのか?体系として何となく理解しても、具体性は見えてこない。・・・人間は生まれる前に、人生をプログラムされ、その「計画書」が許可されて誕生してくると云うが、「悪い行い」をする人間も「許可された計画」であり、「神の子」であるのか。(考え始めるとこの世は、答えのない「不思議な事」ばかりだ。「科学の範疇」とするまでは、まだまだ時間がかかりそうである。・・・・でも、魂が抜けてしまったお墓に手を合わせる行いは、「人としての真理」ではないかと何となく・・・。(難しいね。
(今日の講習会もアカシック・レコーズに記録されているのだろうか・・・、