ジブリの世界

というより宮崎駿氏の真理(心裏)の世界とでも云いますか、「風の谷のナウシカ」から始まり、「千と千尋の神隠し」や「崖の上のポニョ」まで、これらはもちろんアニメーションとして子供から大人まで楽しめ、「児童の健全育成」や「大人の娯楽」などの点でも優れた作品であることは云うまでもない。しかし、ほとんど全ての作品の中に、「何となく場違い」というか、なぜ「その姿であるのか」や、なぜ「その設定になるのか」というシーンが所々に感じはしないか。(ある別の意図を)物語りとして「不必要とも思える描写」といっては浅薄なのであろうが、そんな「真理を隠した姿」で描かれてはいないだろうか。
これも何となくではあるが、じつは神の存在や、生命の誕生、他次元界、霊界などの「宇宙のシステム」に関わる姿の表れではないか。その「存在」ではないだろうか?(考えすぎか
例えば、あの「オーム」。虫、虫、虫という巨大な生き物(王)だが、オームとは宇宙の根源、宇宙意識のことではないだろうか、(そんな宗教団体もあったが)目のような窓がたくさんある姿は、恒星意識の集まりをモデル化したもののようでもある。(こんなものは文明の利器「巨神兵核兵器」では倒せない訳だ)
もののけ〜」のたたり神の出現は地上のエレメントを融合させ、「神」という目に見えない存在を黒煙と臭気という技術で「近似解」としているのか。
「〜神隠し」の世界でも、トンネル一つで次元の違う(時間の流れの違う)世界が存在し、「悪霊と仲良くした」両親は姿を変えてしまった。(霊魂の退化)また、「カオナシ(仮面男)」の行動は今の地球環境そのものである。(ゴミを見た目のお金に変えているリサイクルの幻)
「〜ポニョ」の世界の水の中のシーンなどは、「次元の違う者」とのコンタクトを描いているようで、表向きには「難しい映像」となっている。後半が前半の物語りとリンクが悪いと感じてしまうのは、僕だけだろうか。(子供には「不思議な世界」でよいのかもしれないが、最後がフツウではないような・・・。作者は「霊的な存在」を表現するのが目的であり、そこから物語りが始まっているようでもある。やはり、宮崎氏は高級霊者又はチャネラーであり、「地上者」には解らない姿(この世の存在と意図)が見えるのであろうか。
ジブリとは、次元を越えた舞台裏(目に見えない宇宙)を描きだしているのか、