インド式慈悲と感謝

日本的な考え方では、何かを与えれば相手から感謝を受けるのが当然のようである。(僕はそう思わないのだが)また、日本では与えるほうが上で、頂くほうが下という関係が生じてしまうが、モノを買うときに経験するのは、日本のように「お客様は神様です」といった雰囲気はないのが普通だ。それどころか店によっては「売ってやってる」という態度が見える場合も多々である。
通りのみやげ屋でも、スーパーでも市場でも、それはたいした違いはない。買うほうが「タンキュー」という場合すら見受けられる。(・・俺じゃん、、
つまり、売る側と買う側は対等でなのである。売る側が客に媚びるということはない。
インドの小売は薄利多売と云われ、ほんの数%の粗利で商品を売っている。日本では普通2〜3割の粗利を載せているが、20ルピー(≒40円)の水を売って1ルピー(≒2円)以下の利益しかないのに、丁寧に「毎度ありがとうございます」などと頭を下げていられるか。とも思われ、それゆえ商品を「ほらよっ」とばかりに投げ渡す店も少なくない。しかし、普通に考えてみれば、買うほうも、売るほうも人間として上下はないはずで、「対等なのはおかしいと考えるほうがおかしい」訳である。売買契約は買い手も売り手も平等であるべきだ。
従って慈悲を施す場合にも、慈悲を施すのは自分の都合(意思)で施しているという発想がインド人にはあるようなので、慈悲を施す側に媚びる必要はないと考えているのである。(「バクシーシ」と当然のように喜捨を要求する輩(ヒンドゥーの修験者〔サドゥー〕や道端のガキ共〔かわいいお子様たち〕)や、チップなども受けとるほうが「額」を決める有様である。(・・・。)教えて頂くほうが分かり易いとも云えるが、、
(僕のような世間知らずにはなんとも有り難いお国柄である。(ナマスカールww