没後400年

没後400年を機とした「カラヴァッジョ展」は閉幕した(ようだ)が、今だカラヴァッジョ熱の冷めやらぬローマと聞く。
今年もこの日がやってきた。ミラノ近郊カラヴァッジョ村出身の天才画家「ミケランジェロ・メリージ(後にカラヴァッジョと名乗る)」の命日である。カラヴァッジョは僕の狭い知識の中で「最も絵がうまい(僕のうまいは、技術レベルの高さが基準)」画家だ。17世紀イタリアに名をはせ、極めて大きな影響力をもっただけでなく、通常の社会規範からはみだした反抗者という芸術家像の原型ともなった。その波乱な生涯は、宗教というテーマを、習慣にとらわれず表現したために、パトロンたちと諍いを起こしたことや、彼自身の度重なる暴力沙汰に象徴される。(もとより芸術屋は独りよがりだからな、、
ローマで独り立ちしようと努力した結果、30代前半までに広範な名声を上げた。光と影の効果を駆使したその劇的な表現技術と、スーパーリアリズム(超写実派)は、ヨーロッパ美術界に次世代の絵画をもたらしたと云える。しかし、全盛期にありながら、殺人を犯したためにローマから逃げ出し、以後は安住することなく各地を転々とし、1610年7月18日、悪性の熱病のためポルト・エルコレ(スペイン保護領)で亡くなった。38歳だった。
教皇パウルス5世の恩赦を期待して、聖都の近くまで来たが、人違いで投獄され、二日後には釈放となったが、自分の船は消失していた。彼は灼熱の中、沿岸をさまよい船の影を追い求めたがついに熱病に倒れた。4年の間待ち続けた恩赦はようやく出されたものの、時すでに遅しであった。(・・・。)
才ある者は短命ですね。(・・・長生きしそうだ・・・。
(梅雨が明けました。熱病には気をつけましょう。