HIROSHIMA

午前1時45分、アメリカ第20航空軍第509混成部隊(日本爆撃隊)指揮官ポール・チベッツ大佐率いる原爆搭載機「エノラ・ゲイ」は、ひそかに南太平洋上にあるテニアン飛行場を日本へ向けて離陸した。
やがて先発の気象観測機から「広島の天候良好」との連絡が入る。この瞬間、人類の歴史始まって以来、初めての原爆攻撃の目標が決定されたのである。チベッツ大佐は、広島上空に到達すると、予定時時刻をわずか17秒過ぎた午前8時13分17秒(15分説もある)に爆弾倉を開いた。高度42,000フィート(約13,000m)から重さ4tの原爆が投下された。原爆は市街地(目標は相生橋)目がけてゆっくり落下していった。43秒後高度2,000フィート(約600m)で青白い閃光とともに大爆発を起こす。それは巨大な火の玉となり、強烈な熱波を発し、その後の衝撃波は爆発の3秒後に1.5km、7.2秒後に3km、そして10.1秒後に4kmの地点に達した。当時の広島市街は半径4km程だったため、「広島は10秒で壊滅した」と云われている。(爆心地は目標地点から東へ250m、島病院上空567mとされる)
じつは原爆が炸裂する直前、核分裂により放射される中性子(人体への破壊力が強いエネルギー)がリトルボーイの外殻を通り抜け、一足先に広島市民を貫いていた。中性子はあらゆる物質を透過するため、だれにも避けることは出来ず、後に熱線や爆風を浴びなくても全員が亡くなったであろうと推定されるのです。
原爆が炸裂する以前に、すでに爆心地の人々は「死の宣告」を受けた訳です。
この一撃で、広島市の約48,000戸の建物が完全に破壊され(半径2km以内は全焼)、22,000戸が半壊した。同時に約78,000人が死亡し、約51,000人が負傷、多数の行方不明者を出した。またその後の火災、残留放射能などにより、この年の暮れまでに14万人が亡くなった。(・・・。
(安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから、、