螺旋とねじ

日本語には「ねじこむ」という動詞があるが、これはいつごろから使われるようになったのであろうか。日本の伝統的な建築技術(材料の接合)には「ねじ」は発達しなかったところに特色があると云われるが、それからすればこの「ねじこむ」という表現が一般的になったのは、(一般的?)それほど昔ではないのかもしれない。
いうまでもなく、「ねじ」は螺旋形の溝によってつくられるが、「さざえ堂」は別にして、日本の建築空間に螺旋階段が出てくることはほとんどなかった。普通に考えれば近代、つまり幕末から明治にかけて西洋建築が日本に入ってきて、始めて本格化した技術であったと云えよう。清水喜助(清水組、現清水建設の祖)が棟梁として建てた明治初頭の一連の西洋館の中の、一番の目玉表現は、建物の塔屋へ上がる「螺旋階段」であった。「築地ホテル館(我が国最初の西洋ホテル)」などでわかるように、その階段がいわば「西洋魔術的な装置」として、また文明開化の時代「異国の象徴」として、外国かぶれの輩(僕を含め)人々の心を奪ったに違いない。
日本に「螺旋」が発現しなかったのは、「竜巻」という気象条件がなかったからだというコジツケ的な説もある。たしかに螺旋階段というものの空間的効果は、竜巻のようにモノを巻き上げる力や、逆にその渦巻く「空気のねじ」が大地に「ねじこむ」かの如く、斜路的な自然な「降下作用」を生む。(ねじこみ建築の代表が井戸である。
これらの上昇と下降のダイナミックな空間が「螺旋」とすれば、塔状の層数を重ねた建築こそ本来であるように思う。やはり、「さざえ堂」はアウトサイダーである。(螺旋ではあるが、行程が短く上昇感はない・・・。
(松本の開智学校には危険な回り階段があるらしいww